「ベルリン・天使の詩」と無味無臭
「ベルリン・天使の詩」という映画がある。僕のオールタイムベスト映画のひとつだ。オールタイムベストって何個まで加えていいのかな。10個くらいか。
どんな話か簡単に言うと「天使が人間に恋をして人間になる物語」。なんとファンタジー恋愛だ。ホラー映画好きでもたまにはこういう映画も観る。
好きな映画として挙げるにはちょっと出来過ぎの映画で、少し憚られるくらいだ。逆にこの映画が苦手な人も多くいるだろうとも思う。
なぜなら、これはただの甘い恋愛物語ではなく、少し変な映画でもあるからだ。普通の映画のつもりで観ていると置いてかれるだろう。この映画はとても詩的で難解で、制作された背景などを少し調べないと意味がよくわからないことが多い。
恋愛以外のテーマには東西ベルリンの壁がまだあった時代であること等が関係しているが、その辺の話は今回はしない。
この映画の中では、天使は見えないがそこら中にいる。ただし見目麗しい中性的な存在ではなく、見た目は普通のおじさんだ。
天使たちはあまり特別な力を持っていない。人間たちの心の中の声は聞こえる。でもその他にできることと言えば、悲しんでいる人に寄り添い、肩に手を置いたりハグする事くらいだ。ハグされた人間は何も感じないか、人によっては少しだけ気分が前向きになる。それだけ。
天使の視界は白黒で色がない。そして五感もない。人間たちの心痛の他は何もない。
その天使の一人がサーカスの女性に恋をする。永遠の命を捨てれば人間になれる。どうしよう。と言う話。
映像も素敵だねぇなどと思いながら観ていると、突然刑事コロンボが出てくる。と言うかコロンボを演じていたピーター・フォークが本人役で出てくる。
ピーター・フォークは虚空を見ながら言う。
「見えないがそこにいるね?」
彼は天使をやめて人間になった元天使だ。独り言のように天使に話しかけ続ける。
「寒い日にこうやって両手をこすり合わせると暖かくなってくるんだよ。そして熱々のコーヒーの味!すごく美味いんだ」
とてもいい笑顔で人間は良いぞ、こっちにおいでと誘う。
・・・
さて素敵な映画のあらすじはここでおしまい。未見だったら是非観てほしい。
僕はと言えば、あいかわらず嗅覚もなければ味覚もない状態が続いている。コロナ後遺症だ。もうひと月半になる。いつ治るんだこれ。
この無味無臭の世界で1か月も生きていると、誰かの「これ美味しいね」を聞いたときに「美味しいってどんな感じだったかな」と思い始める。
味を本当に忘れていっているので「ケンタッキーフライドチキンってどんな味だっけ?美味しかったと思うんだけど」などと友人に真顔で話し、心底気の毒そうな顔をされたりしている。
もうお分かりだと思うが、つまりこのテキストでは「僕も天使だ」と言いたいわけで、映画の中の彼らと同じように僕も、何さ?毎日味がするもの食べてるくせに僕に文句言うのか?黙示録のラッパ鳴らすぞ。
なんだっけ、そうそう、こんな無味無臭の世界から堕天受肉して人間になったら、それはもう世界は突然に総天然色カラーになるだろう。熱々のコーヒーを持ってアチチ、苦い美味い、楽しい。ちょっとケガをして血をなめて、おぉこれが血か、鉄の味。すごいすごい。と大騒ぎしたくなるのも今ならとてもよく理解できるな、と思ったというだけの話。ザ・駄文で申し訳ない。
しかしね、現代日本でも観察していると人間たちは楽しそうにしているな。確かにひとりになるとみんな心の中で泣いているけども、それでも嬉しさや喜びを感じている時の様子は素晴らしい。輝いている。羨ましいな。
匂いって何だろう。味ってどんなだろう。忘れてしまった。
僕も人間に恋をすれば嗅覚味覚が戻るのかな。
でもざんねん。僕の魂は山の神(妻のことをこう言いますよ)に捧げられてしまっている。恋落ち堕天以外のリハビリ方法を探さなきゃ。
ああ゛! 味のあるものが食べたいなぁ! 焼肉とか!
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