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ハロウィンの想い出

今年のハロウィンはマーダーミステリー会(参加型推理ゲーム会)に参加して楽しく過ごした。マーダーミステリーは新しい遊びだと思うが、参加してみると中世の貴族の遊びみたいだなと思う。惜しくも犯人は逃した。
渋谷ではハロウィン禁止のお触れが出て、街はおとなしい様子だったようだ。ハロウィンになると仮装した人々が楽しげに街に繰り出すようになったのは日本ではまだ最近の事というわけで、破廉恥なバカ騒ぎでけしからんと言う人もSNSなどでよく見かける。ゴミ問題など地域の迷惑行為として嫌っている人もいる。

僕だって突然「この日だけは罵倒とビンタが挨拶になります、新しい流行文化です」などと言われたらひるんでヤメロと言うかもしれないが、今ある風俗や風習なんかも始まりは同じだったんじゃないかと思う。「ビンタ挨拶デー」という新しい文化を受け入れない人々が加齢で死に絶えたとき、そのときもまだ実行する人々が残っていたら伝統的な風習行事というステータスを手に入れるのかもしれない。

ハロウィンに関していえば、「もともと日本に無かった文化なのにここ数年でバカ騒ぎに利用されているだけ」と言っている人をたまに見かける。それに関しては明確に間違いであると言いたい。
なぜなら40年前に、すでに僕がハロウィンパーティを行っていたからだ。小集団でも行事としてやってれば文化だと言い張るつもりだ。

まだ小学生だったが、すでにホラー映画好きだった僕はジョン・カーペンター監督の「ハロウィン」という映画でアメリカにはそういう日があるのを知っていた。とはいえまだレンタルビデオ黎明期で店も少なく「ハロウィン」も近所の店には未入荷だった。
当時映画のパンフレットやチラシを扱う古本屋は多く、観ていない映画のパンフを読んではいつか観たいと思っていた。僕の住んでいた地方都市にはチラシ専門店もあった。「ハロウィン」もそういう店のパンフで知ったのだと思う。

ある日、近所の電気屋さんが手描きの看板を出していた。
「VHS・ベータのビデオ映画レンタルはじめました」
僕はビックリしつつも大喜びした。電球を買いに行ったことしかない電気屋が、ある日突然レンタルビデオコーナーを始めるような時代だった。ちゃんとした店だったのかは不明だ。違法コピーの「ダビング代行」などを業務として堂々と看板に書いてある店などもあった。そういう店のレンタル棚はほとんど海賊版だったのかもしれない。

ビデオレンタル兼電気屋さんに初入店した日の事をいまも覚えている。サム・ライミ監督の「死霊のはらわた」のビデオが棚に横置きされていた。白目を剥いたバケモノがぐわーッと写っている強烈なジャケットデザインで、隅に書いてあった東芝のロゴまでハッキリ思い出せる。
店主はホラー映画好きだった。ホラー映画の棚が全体の半分で、他のジャンルは雑多に陳列されていた。「13日の金曜日」「デモンズ」「ファンタズム」…「ハロウィン」もあった。雑多な方の棚には「ネバーエンディングストーリー」やシュワルツェネッガーの「コナン」なんかもあった。
新旧関係なくビデオ1本だけで1泊2日1,000円もした。それでも家族全員が映画好きだったので、「ゴッドファーザー」などのついでにホラーも借りてもらって頻繁に観ることができた。

店に日参して常連と化した僕は、30も年の離れた店主と学校帰りにホラー映画談義をするようになっていた。次にどれを入荷するべきかどうかまで話していた。オタク極まれりといった感じだ。
ついに小学4年の10月31日、ハロウィンパーティを開催した。小学校の友達を5人くらい呼んで、ホラー映画を3本観る会だ。たしか作品は「ハロウィン」「死霊のはらわた」「13日の金曜日パート3」だった。
本来のハロウィンでやるトリックオアトリート、お菓子くれなきゃ悪戯するぞ、もこの時やっている。参加する友人の家々でお菓子をもらい、家に集合すると親が巨大な器にフルーツポンチも作ってくれた。それを飲み食いしながら小学生たちが観るのはスプラッタホラーなのだが、それが許容される大らかな時代だったと思う。友人の親から苦情とか来なかったのだろうか。たしか来なかったと思う。
ホラーとフルーツポンチで興奮した僕たちはまさにバカ騒ぎを繰り広げた。小学生男子が興奮すれば大暴れと決まっている。ジェイソン対マイケルのプロレスごっこでついに怒られ、初ハロウィンパーティは幕を閉じた。
まだ例の猟奇事件が起きる前で、ホラー映画叩き・オタク叩きが起こる直前の牧歌的なお話だ。

翌年、その事件が起こる。犯人の部屋からホラー映画が出てきたという報道があり、世間ではホラー映画叩きが猛威を振るった。ホラー好きは犯罪者予備軍であるかのような扱い。電気屋ビデオレンタルも閉店してしまった。最後の日の寂しそうな店主の顔が忘れられない。
それでも僕はハロウィンパーティを続けた。高校でも大学でも。社会人になっても。誰も参加しない年は1人でもホラー映画観賞会をやった。旅にでも出ていない限り、今に至るまでそれを続けている。そういうわけで僕はかなり早い時期から日本でハロウィンを祝っていたうちの一人だと思う。

一般的なハロウィンについての認識は「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」後の1990年代中盤あたりから変わってきたと思っている。ハロウィン関連グッズをどこでも見るようになった。
それに関係あるかはわからないがホラー映画も復権し始めた。ホラー映画叩きから10年以上経っていたが、ついに雌伏の時は終わったらしい。ホラー映画好きでも大手を振って生きていていい。ホラー映画のテーマの暗喩は社会問題なのだ、実は高尚なものなのだとか勉強して理論武装しなくてもいい。ただ好きだからとホラーを見てもいい、そういう時代になった。
それでもホラーが、ゲームが、漫画が、アニメが、犯罪の温床であり禁止すべきものであるという声は今もまだある。いつだってあるんだろう。たぶんオペラや歌舞伎だってそう言われてたんじゃないかと思う。そういう声はまだまだ絶えない。千年くらい頑張れば諦めてもらえるだろうか。

そういうわけなのでハロウィンに仮装を披露するのは、細々とでも続けてほしい。文句を言う人々が死に絶えて、最初にハロウィンをやり始めた人々も死に絶えて、それでもハロウィン仮装が残っていたら勝ちだ。いつかNYのハロウィンパレードのように、渋谷の通りを仮装パレードが練り歩く地域の伝統行事になればいい。そう思っている。

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