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十月、星は流れるようで

気づけば早10月。
また何も為さぬまま年を越すようで、戸惑いを隠せない。
残り2ヶ月分の自分に、今年一年分の頑張りを託すつもりだ。もちろんこの姿勢こそが堕落そのものだ。


一年も後半に差し掛かり、そういえば下半期は星空が朝日に隠れる瞬間をよく見たなぁと痛感する。

それは課題に追われながら見た空でもあるし、酒に抱かれて迎えた空でもあった。

何もないのに目がずっと醒めて、何もせず、ブラインド越しに差し込む光を訝しげに見ることも多くなった。


塾の先生方との飲み会があった。

「夏期講習お疲れ様でした」とお互いを慰労するための飲み会。
いろいろな先生と喋ろうと、話題をシャワーのように振り撒き、あれやこれやと語っていた。
終始楽しく、気づけば3次会が終わり、4次会のカラオケへともつれ込む。
その時には新人の先生方はいなくなり、見知った先生方ばかりだった。

酒気も残る中で皆が歌っていたけれど、耳はお酒が効かないらしい。
自分に心当たりのあることがらについて、ちょっと愚痴が聞こえた瞬間、一気にそれしか考えられなくなる。
カラオケの字幕のように、心模様は一気に黄色く染め上げられていた。


人様に迷惑をかけてばかりの人生であることは、開き直ることができないほどに既成事実としてあって、その上で私は宙ぶらりんで生きている。

肺がんになりたくないが、付き合いでタバコを頂くこともある。バイトの同期に勧められた「一口いる?」はそんなに好きじゃなくても食べる。

けど、これは、ただ波に飲まれて流されているのではない。

宙ぶらりんで生きる人は、軸がないように思われる。けれども、それは見えないだけで、その人にとっての確固たるものがあることが多いのだ。

私たちが他の人からどう思われるかもまた然りだ。
もしかしたらある人はこう感じるかもしれない。0.01%の可能性がある限り、それは確かに存在する。


星は流れていない。地球が動き、太陽が接近する。
その瞬間、見えなくなるだけだ。

けど、その「見えない」が、星にとってはとても怖いのです。

4次会終わりの空は、確かに星が隠れるほど明るかったです。

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