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やまがた 本山慈恩寺 魅惑の朽ち仏
6月に二度、山形を旅した。一度目は若松寺と山寺を参拝。そのときのタクシー運転手さんに慈恩寺も素晴らしいよ、と紹介されたのがきっかけで意を決してやってきた。慈恩寺の名は知っていた。ここには国指定重要文化財の鎌倉期の仏像がたくさんあると聞いていたからだ。
早朝、初めて山形新幹線に乗り山形駅で左沢線に乗り換える。左沢?
左沢は難読地名として有名だそうで「あてらざわ」と読む。名前の由来はアイヌ語?そして乗り換えの待ち時間がめっぽう長かった。
本山慈恩寺はさくらんぼで有名な寒河江市にある。梅雨前線は山形にも北上し、無情にも雨がしとしと降っていた。左沢線寒河江駅からタクシーに乗って「慈恩寺テラス」という施設へ直行した。
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「慈恩寺テラス」は国史跡慈恩寺旧境内を総合案内する施設で、4k大型ラウンドシアターなどの映像を通して、慈恩寺旧境内の歴史的価値を紹介している。
ここで慈恩寺境内のマップをもらい、歩いて10分ほどで行けるというので傘をさして雨の中を慈恩寺に向かうことにする。テラス前の仁王坂と呼ばれる急斜面を上るのだが、かなりきつい勾配ですぐに息があがる。やがて山門が見えてきた。
本堂や阿弥陀堂、薬師堂、釈迦堂、山門、三重塔などの現在の境内地に加え、院坊屋敷地、八面大荒神社などを含む敷地は、平成26年慈恩寺旧境内として国指定史跡となっている。
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国指定重要文化財である本山慈恩寺本堂は約70年ぶりの大規模保存修理工事を実施中で、外からは本堂全容をうかがい知ることはできない。本堂の周りには足場が組まれ茅葺屋根の葺き替えの真っただ中で、堂内には宮大工と思われる集団参拝客が訪れていて、山里の寺とは思えない程にぎやかだった。
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近くには宝物館のような建物もなく、今回の旅の目的、お目当ての菩薩像はどこにいらっしゃるのだろうと堂内受付に尋ねると、この本堂にて展示されているという。『菩薩展』(5月25日~7月15日)拝観料800円というリーフレットを頼りに、ここまでやってきたのだ。暗い本堂内陣に入ると、通常非公開の仏像たちが照明に照らされてぽつりぽつりと見えてきた。
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そしてそれは想像をはるかに超えた可憐でちいさな像だった。
像高21・2cmの小像は両腕が欠損しているためか、首から胸、腹にかけての細長い胴部分の美しさが際立ち、かえってなまめかしい。像の後ろ側に回って観ることはかなわなかったけれど裳裾のたなびく造作は繊細で、風に乗って舞い降りたかのようだ。両腕が無いので尊名を明らかにできないが、平安後期の像だそうだ。ここに来たかいがあったと思った。
すこしだけ前かがみになり、両膝を開いてやや腰を浮かせたようなこのポーズ。どこかで観たような。
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京都の三千院・往生極楽院の国宝阿弥陀三尊像の脇侍、勢至菩薩坐像と観音菩薩坐像だ。まさに往生者をお迎えするその一瞬を表しているといわれている跪坐の姿勢。こちらも平安時代の像だが、慈愛に満ちた母のような表情をしている。そして胴体もどっしりとしていて、衣文も滑らか、危うさがない。
そもそもこの跪坐の姿勢はあまり類例がないと聞く。その稀な例が山形にあるとは。
令和7年には本尊弥勒菩薩の御開帳だという。ますます魅力が尽きない本山慈恩寺である。