運動が、苦手なのである。
孔子は言った。
“四十にして惑わず”
しかし私は、四十にして思う。
義務教育ではどうして一人でも楽しくできる運動、どんくさくても楽しくできるスポーツを教えてくれなかったのかと。
私は、運動が苦手だ。
幼いころは活発で、母親は“この子はきっと働き者になる!”と予言めいたことを言っていたそうだが、その予想は裏切られ、めんどくさがりなどんくさい大人になってしまった。
幼いころは体を動かすことは大好きだったのだが、悲しいことに運動神経とリズム感がゼロだった。
田舎あるある、なのか分からないが、父親は足が速いということ、運動ができるということにものすごい価値を見出していた。地域では大人も参加する学区対抗の運動会があり、そこで活躍することが何よりの自慢であった。
そのため、運動のできない私はそのことを家族(主に父)から馬鹿にされ、楽しく運動に取り組んでいても不格好だのへたくそだのと嘲笑されたのであった。
学校でも低学年までは楽しく体育の事業に参加していたが、チーム戦の競技では私はできれば同じチームになりたくない子だったと思う。
家での扱いも相まって、どんどん自信をなくし、運動自体が楽しくなくなり、すすんで体を動かすことはなくなった。
そんなこんなで、私には体を動かす習慣はない。
大人になっても私にとって運動は屈辱の時間でしかない。
だが、仕事や子育てをして痛感するのは、『最終的には体力勝負である。』という事実。
しかし、私は体力をつける術を知らない。
40代も半ばにさしかかり、医者に“運動するように”と言われることも多くなる。
しかし、私は思うのだ。
どうやって??
病院からの帰り道、タイムマシンがあったら小さいころから運動して、こんなことにならないようにしたいなーなんて妄想をしてみるのだが、
果たして私は運動する子になるだろうか。
「くそっ!何度タイムリープしても運動しない世界線に戻ってしまうっ!」
こうなる気がする。
下手でも体力や健康維持のために楽しく運動できる環境があればきっと変わっただろうな。。
仕方なく、私は今日も一人てくてく歩く。
あぁ、楽しく運動できる世界線に生きたかったな。