身近な宗教(怪しくない)
タイトルでインパクトを与えてしまったが、新興宗教にハマっているわけでも信仰を促しているわけでもない。
誰もが今の自分を作っていく過程で身近にあった宗教に語る。
●仏教
わたしの母は東南アジア出身で、敬虔な仏教徒だ。実家に帰ると母がファンである?有名な僧侶のポスターは飾ってあるし、根底として当該国の人の行動や考え方の根本は「仏教の教え」に基づいている。日々徳を積むことが日々の糧であるように思う。
日々徳を積むのは「輪廻転生」が前提の理由であって、生まれ変わる次の人生を豊かなものにするためである。それを「タンブン」という。勘のいい人はこれで国が分かるだろうが、国はあえて伏せておく。
日本でも「因果応報」という言葉があるが、これはわたしが信念としている「何かを得るためには何かを捨てなくてはならない」という思想に至ったベースの概念である。良い行いも悪い行いも、自分が振る舞った分自身に還ってくる。よって、「最良」を得るためには「最良」をを手放すことが必要と考えている。(自論です)
とにかく、母の影響で物心つく前からずっと「タンブン」が当たり前という思想の元生活しており、親に感謝、今の自分を作っている物への感謝、欲深くならず身の丈にあった生き方をする、など慎ましい生活をしてきた。
そういった環境で育ってきたため、「今ある全ては過去の全て」という境地にたどり着いた。ジブリ映画の「かぐや姫の物語」の主題歌を聞いたとき、自分の思想は仏教に基づいているんだと、この歌で確信した。
●キリスト教
私がいた大学はカトリック系の学校であり、校舎内に教会もあったところだ。私がこの学校を志望したのは高校の先生からの勧めも大きいが、当時読んで衝撃を受けた小説「塩狩峠」の影響を強く受け、キリスト教に興味を持ったからでもある。
今でもキリスト教の価値観が反映されている作品に心惹かれる傾向があり、私の好きなもので言うと、小説「ナルニア国物語」「指輪物語」、映画「アイ・アム・レジェント」「ボルケーノ」などがそうだが、「自己犠牲」「赦し」「復活」が作品の暗示されていると感じる。
キリスト教学はお気に入りの講義の1つで、聖書を読む時間がとても好きだった。読むたびに新しい発見がある。読み進めていくなかで、特に気に入った言葉があった。
【ルカによる福音書】
6:31 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
6:38 与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。
解釈が誤っていたら恐縮だが、つまりは「因果応報」なのだ。宗教によって紡がれる言葉は違うが、例えばヒンドゥー教でも同じような解釈の言葉がある。
まとめ
多くの日本人同様に私も特に信仰している宗教はないが、育ってきた環境の中で様々な宗教の影響を受けてきた。イースターやクリスマスをお祝いしたり、節分で豆を撒いたり元旦に初詣に行く、タンブンをしたりソンクラーンをする。
現在の自分がある過程で上記以外にもさまざまな宗教に触れてきたが、こうやって頭の中にあることを整理して書き出してみると、私の場合は仏教の影響が大きかったようだ。(書いてて各章の熱量が違うと分かった)
これからも生きていく過程で様々な宗教を知る機会があるかもしれない。私は宗教画を見ることが大好きなのだが、聖書や神話を事前知識として知っていないと理解できないこともある。宗教を知ることで、新しい何かを発見したり理解する一歩になる機会がこれからも増えればいいと思う。