Fieldwork #5 Mount Lebanon
Mount LebanonまたはNew Lebanonはシェーカー教団の中心的コミュニティであり、総本山と言える最初期、最大規模の共同体でした。
この日は分厚い雲の覆う空の下、マウントレバノンは基本的に野外散策の予定だったので、雨を心配しつつ、早朝から散策を始めました。
マウントレバノンは最盛期には600人の信徒が生活を共にし、建築の数は125にも上ったといいます。管理する土地は6000エーカーに広がったと言われます。
この地域は元々ニューレバノンというエリアで、シェーカーの暮らすコミュニティーもニューレバノンと呼ばれ親しまれてましたが、のちに郵便局がコミュニティー内に作られた際に街の名前との混同を避けるためMount Lebanon/マウントレバノンへと改名されました。
コミュニティーはニューヨーク州の東端に広範囲にわたり、最大で8つのファミリーによる集落が形成されました。
今回私が訪れたのはNorth FamillyとChurch Famillyの生活していた中心エリアであり、現在はヒストリックサイトとしてShaker Museumによって管理される場所です。
サイト内の建築は個人所有になっているものも多く、私たちが実際に立ち寄ることができるのは限定されている状況です。
この辺りも実際に住人のいる建物でもあるため、遠景だけの撮影に止めました。
石積みの土台の大規模な木造建築、煉瓦建築が立ち並ぶ景色は、深い森の中にありながら、開放感もあります。
この日、中央付近にあったビジターセンターは残念ながら休館でしたが、周辺を散策することは出来ました。
Brick Shopは初めはランドリーと男性信徒の仕事場を兼ねた建物であり、ここでは機械の動力となる水車が利用されていました。
後に、コミュニティーの子どもたちの学校として、もしくは食糧の貯蔵庫として、外部の労働者の住居としてなど様々な用途で利用されるようになった建物でもあります。
このような建物の用途の変化は各地のシェーカーコミュニティで見られ、決して珍しいものではなく、その度に、改築が行われたり、内部の仕様が変化することもありました。
シェーカー建築が『生きる建築』と呼ばれる理由はそのようなところにもあるでしょう。
マウントレバノンはシェーカーのコミュニティ体制が始まって以来、精神的にも統治機能的にも中心にあった総本山と言われます。
規則や規律、生活サイクルや産業デザイン、街づくりまで、他のコミュニティはマウントレバノンを参考にし、注意深く再現に努めました。
整った集落の街並みや、シンプルで美しい家具や道具類に見られる、シェーカーの様式的な統一感の源流には、マウントレバノンやウォーターブリットといったニューヨークのコミュニティーがあると言えます。
マウントレバノンを代表する建築Great Stone Barnも健在でした。
現在、アメリカで最大の石造の牛舎であると考えられているそうです。
牛小屋と乳製品の加工場を備えた巨大な建築は、火事により木造部分が焼失し、現在は外壁が残るのみとなっています。
内部からの眺めは圧巻で、さながらピラミッド建造のような途方のない時間を感じさせる空間でした。
標識が示す通り、この並びにはシェーカー建築が建ち並びます。
この通りには、1947年に解散したマウントレバノンの一部の土地や資産を管理することになったDarrow Schoolという教育機関も健在です。
マウントレバノンの主要産業はやはり農業でした。
今回のフィールドワークで、特にハンコック、マウントレバノンといったビッグコミュニティは共通して農業主体の経済を営んでいることがよくわかりました。
食料自給の安定は経済的安定、共同体の安定に直結します。安定した共同体の衣食住があるからこそ、彼らの文化は洗練され、成熟していく余裕を持つことができました。
男性信徒の多くは、基本的に農業に従事し、休耕期に物作りを行うというサイクルにあったそうです。
オールドチャタムにあるシェーカーミュージアムには、稀少なシェーカーコレクションが多数収蔵されているそうですが、今回は時間とタイミングが合わず、訪問することが出来ませんでした。
学術図書館としての側面もあり、一般訪問には若干のハードルがあるのですが、帰国後、運良くミュージアムの方と連絡を取るようになり、機会を逃したことを改めて後悔することに。次回は必ず訪問したい場所の一つです。
ウォーターブリットからハンコック、マウントレバノン周辺の宿泊はShaker Mill Fallsというシェーカー建築に宿泊しました。
沢山の本と滝や小川に囲まれたとても素敵な宿でした。犬もオッケーで素晴らしいです。
ここは、元々はマウントレバノンのいずれかのファミリーのグリストミルでした。現在は宿としてシェーカーやミュージアムとは全く別の個人の方が運営されています。
このようなシェーカー建築が個人所有であるケースは決して珍しくはありません。
グリストミルは製粉所であり、主に小麦などを大型の機械で粉にしていました。建物横には水車跡があり、かつては機械動力として利用していたようです。
ミルはシェーカーの文脈では、製材所や製粉所のような大型の機械が設置されるよつな一次加工をするような工場を指しています。
スタッフのお兄さんに詳しい説明を聞くと、彼も今まで聞かれなかったようなこともあったようで、わざわざ調べてくれたりしました。
1824年の建築であれば、マウントレバノンの信徒数も最大に向かう黄金期の建築です。
各地で居住棟や牛舎などの大規模な建築がいくつも建てられました。
1820年代は信徒数の安定と同時に、精神的支柱であった初期信徒の喪失が教団の運営体制を大きく変化させた時期にもあたります。
組織の様々な課題が表面化する中で建てられた石造の大きな製粉場は、決して木造の急拵えの小屋ではありません。これからのコミュニティやファミリーの食事や暮らしを支える重要な役割を期待されたのでしょう。
そのような歴史のことを思いつつ、ひんやりとした石壁と清涼感のある小川の音が印象的でした。