「シェーカー家具」と「シェーカースタイル」
今回は、今月15日、16日に京都文化博物館にて開催される『きょうと椅子』にて、一部配布させていただいたUNOHによるシェーカーについての紹介文に、詳細を少しだけ加筆したものになります。
シェーカーは18世紀半ばにイギリスで活動を始め、1774年に指導者であるアン・リーが数名の信徒を引き連れアメリカに渡りました。イギリスでの黎明期には明確な教義や理念は存在せず、アメリカでの宗教コミュニティの建設を期に教団としての骨格を確かなものとして行きます。
開拓期のアメリカにおいて、独身主義、分離主義、共産主義、平和主義のような、当時としても、急進的な思想や主張を持っていたことで知られます。
リデザインで知られるデンマークのコーア・クリントは、チャーチチェアなどの製作において直接的な影響を受けたと指摘されます。単に、装飾性を廃し、機能性を重視する姿勢や規格的な物作りなど、今となっては当たり前のように見える物作りの個性も、当時としてはやはり目を見張る物であったと考えられます。
多岐に渡る「シェーカー家具」には、必ずしも共通した構造や加工方法があるというわけではありません。作る場所、作る時代、作る人の違い、そして使う場所、使う時代、使う人の違いなど、その要因は枚挙に暇がありません。
所謂、「シェーカーチェア」と括られる時にも、サイドチェア、ロッキングチェアのような椅子の種類というだけでなく、時にはコミュニティによって、年代によって座面も、構造も、部材も少しづつ異なっており、漠然としたイメージだけが共通しているのだということに気付かされます。
雑誌の特集や、ウェブメディアの記事に取り上げられるシェーカー像は、私たちにも好意的に映ることが多いのではないでしょうか。ミニマリズム的な発想や、勤勉、清潔、丁寧で穏やかな生活。
そのいずれもが、シェーカーにおいては、教義の実践の結果にすぎないということは非常に興味深い点です。
つまり、根本にある宗教や教義というテーマが、万人に好意的に映るものではなくても、その成果である、彼らの生活や物作りには私たちは良いイメージや理想像のようなものを投影することができるということでもあります。
何故、そのようなギャップが生まれるのか。はたまたそれはギャップであるのかどうか、などその魅力と疑問は尽きません。
シェーカーの宗教思想は独身主義、共産主義、分離主義のような小難しく、ある種ネガティヴな要素を持ちます。しかし、その中には現代社会の私たちにとっても有用な発想やアイデアが多く見つかります。
後世に生きる私たちにとって「シェーカースタイル」は、物作り、生活における非常に複層的な視野を持つテキストの一つです。良い部分は取り入れ、共感できない部分は反面教師として、学びや表現の糧にしていくことができます。
『シェーカーに何を学ぶか』というこのノートのタイトルは、まさにこのような意味合いでもあります。