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シェーカーの黎明期とその背景

シェーカーの人々、創始者であるアン・リーを含めた9名の信徒がイギリスからアメリカへ渡ったのは1774年のことです。

アメリカではその翌年から独立戦争が始まり、イギリスの支配からの脱却を試みる、まさに独立前夜と言える時代でした。

シェーカーという宗教集団の源流となるのは、イギリス発祥のクエーカー教、及びカミザールの乱を逃れたフランス人預言者たちと言われています。

ルターの宗教改革以降、キリスト教内部での多様性が広まり、それに応じてカトリックによるプロテスタントへの抑圧、プロテスタントのカトリックへの対抗、プロテスタント主流派による新興プロテスタントへの迫害、弾圧といったように、マジョリティによるマイノリティの弾圧、諸流派の衝突がヨーロッパでは拡大していました。

それぞれの信教の自由を確保するために、閉鎖的な連鎖を続けている時代であったとも言えます。


◇クエーカー

17世紀中頃にイギリスに生まれたプロテスタントの一派であり、個人の中に神が現れ、直接語りかける内なる光という概念を特徴としており、その神秘体験の共有を基本思想としています。

彼らの神秘体験における身の震えや、平和・平等主義、節制思想など、彼らの教義やその実践には特にシェーカーと共通する点が非常に多くあります。

これらの思想的影響に加えて、シェーカーの生活や労働観への影響もクエーカーに見ることができますが、その後のシェーカーコミュニティにおける機械の導入や労働環境への視点は、同時代のアメリカ産業全体の発展の影響として考える方が実際的なものであるように思えます。


◇フランス人預言者たち

18世紀初頭カミザールの乱によって、ユグノー(フランスにおけるカルバン派のプロテスタント)達がフランスを逃れることとなります。ユグノーに限らず、この時代、新興プロテスタントにあたる人々は、権威的なプロテスタント主流派や国家にり抑圧、分断され、ヨーロッパ各地に分散していきました。

フランスを脱した一部の信徒はイングランドへ辿り着き、ここでもまた説教を始めました。彼らはそれぞれが精霊の霊感を感得し、天啓を授かった預言者という考え方を持ち、預言を得ると身体的な反応、震動や恍惚をもたらすといった、シェーカーにとってのインスピレーションの獲得に似た反応を持ちます。

彼らの思想はカルバン系譜の予定説に端を発し、千年王国の到来を信じるものでした。

これまでにもシェーカーが共同体をユートピア化する根拠として触れてきた『千年王国』というコンセプトはキリストの再臨と世界の終焉の1000年の期間のことを指す、キリスト教の終末論の一つになります。平易に言うとすれば、もうすぐ世界が終わってしまうのだから、『今こそ悔い改めよ』という文言で知られる思想です。

それに対し、シェーカーの思想は、アン・リーこそがキリストの再臨であり、千年王国はシェーカーコミュニティで達成される。と言う考えを持っている点で異なっていることがわかります。


この二つの流れが合流し活動が始まったのは1747年のボルトン、およびマンチェスターと言われています。活動の主催者のワードレイ夫妻によりシェーカーという集団の基礎が生まれます。この活動に参加していた人々の中にアン・リーがいました。

そのイギリスでの活動の最中、アン・リーは、自身がキリストの再臨であることやアメリカへの天啓を授かるに至りました。

それにより、それまでの再臨を待ち望む集団から、再臨は達成された、新しい前提を持つ集団へと移行したことになります。

この再臨により、共同体の形成や、彼らにとっての千年王国の現実的なデザインが実践されるようになったとも言えます。

このように、プロテスタントの中でもキリストの再臨を明言した点で、その後シェーカーは独自の道を歩むことになります。

日本人にとってキリスト教やカトリック、プロテスタントの違いは細やかなものに見えてしまいますが、思想的な岐路を捉えることで、その後の歩みや相違点についての理解と認識が深まる助けになります。



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