作り手と座り手の循環
30年に渡り家具工房を続けるUNOHでは、以前に納品された椅子が経年の劣化や変化のために、修理に戻ってくることがあります。
20年以上前に納品され、長い間使っていただいたこのレバノンチェア。
経年で生まれた歪みと軋みを直し、崩れてしまっていた座面のテープを巻き替えました。これでまた次の十数年を迎えられるようになります。
シンプルな部材で合理的に構成されるシェーカースタイルの椅子は、共通する部材、構造の物も多く、時と場所、もしくは作り手が変わっても、また同じように修理し、長く使っていくことができます。
この「作り手と座り手の循環」を続けるには、高度な技術や複雑で希少なデザインを指向する物や、安価に生産され、壊れれば廃棄して取り替えるといった種類の物とも違った在り方を求められるように思います。
製造工程や部材がある程度の規格化がされ、担い手が続き、手直しや修理が容易であること。それと同時に、いつの時代にも、デザインを含め変わらずに椅子としての完成度や需要があること。
これらは、コミュニティでの製造、使用を前提とした、自給自足的なモノづくりの延長にあるシェーカースタイルだからこそ整っている条件でもあるかもしれません。
シェーカーに限らず、この「作り手と座り手の循環」という椅子を通したコミュニケーションは、これからの物の在り方を考える上で示唆に富むヒントなのではと感じます。
世代を超えて長く使えるもの、手の届く範囲のもの。
確かに理想的であるのは頑丈で壊れず、安価で多機能で利便性に優れたものですが、他方で、廃棄すら困難な物になってしまうかもしれません。
この循環の形を続ける担い手の一人として、どのようにその在り方、考え方を繋げていくのか。
リペアという作業を通して、このようなテーマ、課題が一つ見えてきました。