『グリーン・ナイト』 The Green Knight 映画レビュー
昨年7月にアメリカで公開された映画『グリーン・ナイト』(The Green Knight)。wikiによると製作費1500万ドルに対して、興行収入は2000万ドルとヒットしているし、平均評価8/10というから楽しみだった。日本では昨年11月25日から公開。近くの映画館で封切りになったのでワクワクしながら出かけた。先入観を持たないよう予告動画も見ていなかった。
原作は作者不詳の騎士物語
私はフランスで購入した絵本『サー・ガウェインと緑の騎士』を読んでいた。トールキンの物語もずっと前に読んだことがあっただろうが、うろ覚えだったので年末に図書館で借りて読み返した。
キャメロットでは騎士団は絶頂の時を迎え、アーサー王や円卓の騎士、麗しい貴婦人たちはこの世の至福のかぎりを集めていた。そこへ緑の騎士が美しく飾りたてられた宝石付きの豪華な衣装で登場する。緑の馬も黄金の刺繍付きの馬具をまとっている。想像するだけでも心が躍る。
原作は世界に一冊しか存在しない写本である。古くから伝わる韻律法を用いた韻文をJ・R・R・トールキンが現代語に翻訳したが、生命と色彩にあふれたすぐれたものだと語っている。
映画レビュー *ネタバレ注意*
ここでは上記の物語『サー・ガウェインと緑の騎士』J・R・R・トールキンと映画を比べることとする。
◆全体の視覚的イメージ
映画が始まると画面がうす暗かったが「中世が舞台だから」と言い聞かせた。キャメロット城の描写も、アーサー王、王妃も覇気が感じられない。どんよりと重い雰囲気が漂う。そこに緑の騎士が登場したが、緑というより暗灰色。宝石付きの豪華な衣装は? なんだか地味すぎる。
◆物語と映画の相違点
映画のあらすじは物語と変わらない。アーサー王の甥であるガウェインが緑の騎士の首をはねた1年後に、緑の礼拝堂で緑の騎士がガウェインに同じことをするというものだ。
キャメロット城の大広間で祝宴が催されていた、その時、突然緑の騎士が現れゲームをしようと提案する。呼びかけに応じたアーサー王に代わってガウェインがエクスカリバーで一撃を与え緑の騎士の首をはねる。しかし騎士は床に転がった首を無造作に拾い上げ、緑の礼拝堂で待つと言い残し去ってゆく。
物語では緑の騎士が持参した戦斧を使ったのに、映画では魔法が込められたエクスカリバーにすり替わっていた。王の象徴ともいえる剣を他人に手渡すことからも、権威が損なわれつつあることを示したのだろう。
◆物語にはないエピソードの連続
・ガウェインは酒場で飲みつぶれて怠惰な日々を過ごしている。
・旅に出たものの少年に見ぐるみ剥がされ、木の下に転がされる。
・ウィニフレッドの首を湖で探し出す。
・巨人が平原を横切るのに出くわす。
・愛馬グリンゴレットがいなくなり、狐が姿をあらわす。
勢い込んでいた気持ちが冷めてゆくが、未熟な主人公がさまざまな体験を通して内面的に成長していく過程を描く教養作品なんだろうと良いように解釈してじっと絶える。でもいつまでも進展しないので苛立ちが増してゆく。
◆城で獲物を交換し、緑の礼拝堂にたどり着く
そして訪れた城で城主の妻から2度誘惑されると、慌てて城を飛び出してしまう。物語では3度誘惑されるが断固として応じない。御伽噺でも昔話でも3度繰り返すのが暗黙の決まりなのに。
やっと礼拝堂に辿り着くが緑の騎士から与えられる試練に耐えられず、待ってくれと言う。そして王宮に逃げ帰ったガウェインは病死したアーサー王から王位を受け継ぎ王となるが、民衆から疎まれ悲惨な最後を迎える。
それが幻影であったことがわかり、これからかっこいいガウェインが登場するだろうと期待した瞬間、エンドロールが流れた。これで終わり?
◆なぜモヤモヤするのだろう
どんな英雄にも老いは訪れるがアーサー王の弱りきった姿や衰弱死するシーンはみたくなかった。最後まで待ったが高潔な騎士ガウェインがどこにもいない。この2つのダブルパンチでモヤモヤした。
アーサー王は凛々しく強く、円卓の騎士は忠誠と気高き騎士道精神を誓った雄々しい戦士でなければならない。そういう視点から判断すると映画の評価は低くなる。
では主人公が高潔な騎士ガウェインではなく、ただの名もなき騎士見習いだとしたららどうだろう。それなら怪奇なエピソードも悪くはない。奇しくもガウェインを演じたのはインド系イギリス人俳優のデーヴ・パテールなのだから、これまでの円卓の騎士のイメージとはかけ離れている。
でもアーサー王とガウェインの物語でなければ、映画館には行かなかっただろう。
新たな円卓の騎士の物語
発売されたばかりの『ナイトランド・クォータリーvol.31』に興味深い記事があった。
現在のイギリスの首相はリシ・スナク氏。20世紀以降で最も若く、かつ史上初の非白人・アジア系で、しかもヒンドゥー教徒なのだ。2019年から撮影はスタートしているので、デーヴ・パテールの起用は首相とは関係ないだろうが、数十年前ならこの配役が実現しただろうか?
脚本は3週間で完成
アメリカ生まれのデヴィッド・ロウリー監督が『サー・ガウェインと緑の騎士』J・R・R・トールキンを読んだのは、学生時代、19歳の頃だったという。西洋の叙事詩を学ぶクラスでこの詩を知ったというが、日本ではなかなか学ぶチャンスはないだろう。
映画化を思いついたのは2018年。脚本は3週間で書き上げたそうだ。「僕らの文化にどう共鳴するのかという問い」がこの映画。
フランスの大学はほとんど国立で授業料は無料。それに対しイギリスは授業料が高いため、学生ローンを組んでその支払いに四苦八苦していると聞く。失業率も高く、未来に希望が持てず自堕落な生活に陥る若者も多い。未熟な若者が幻想的で奇妙な冒険の旅を通して内面と向き合い成長する、映画の最後のシーンが希望につながっていると良いのだが。
*参照
デヴィッド・ロウリーが語る「グリーン・ナイト」に影響を与えた6作品 映画ナタリー編集部
大学も就職も住宅も「損だらけ」のイギリスの若者たち Newsweek
*フランス語版の絵本については後日投稿予定
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