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変わらない景色から気づく幸せの意味
ある晴れた日の午後、私はロンドンの王立植物園Kew gardens(キューガーデンズ)にいる。
ここはジョージ3世の母が庭として造ったのを起源とする植物園で、大人になった彼は自分の子供をここで育てるほど、この庭を気に入った。
ジョージ3世は植物界の父と呼ばれる人を雇い、世界中からあらゆる種類の植物を持って帰らせて、キューガーデンで育てた。
そのためキューガーデンには世界各国から集められた植物や花があり、その数なんと5万種にも及ぶ。現在も世界トップレベルの植物研究施設として、その役割を担っている。
私が住む家はこのガーデンが徒歩圏内にある。
よく平日に娘と一緒に訪れ、公園やアスレチックで遊ぶ。
時々、ここにいると不思議な気分になる。
今日もいつものようにひとしきり遊んだ後ベビーカーに乗せて帰路についていると、娘は気持ちよさそうにすやすやと眠った。
空は高く、雲はゆっくりと空を流れる。
綺麗に切り揃えられた芝生と、太陽に向かってのびのびと咲く赤や黄色の花々。ピンク色の花で揺れる木。木の下で笑い合う金色の髪の子供達。
目の細胞が忙しいくらい、豊かな色彩が飛び込んでくる。
「昔も今も変わらない景色なんだろうな」と思った。花も木も建物も、日本のようにあまり大きな災害がない欧州は、ほとんどが古いまま現存していることが多い。
今私が立っているキューガーデンも、きっと昔の偉い人も同じ景色を見ていたのだろう。そう思うと時が止まったような、ゆっくりとした穏やかな時空を感じる気がする。
思いのまましなやかに生きている風景を見て、背伸びなんかする必要はないと思った。花に花の、人には人の、そして私には私の、居るべき場所が必ずある。
思えば20代の頃は背伸びばかりしていた。憧れを実現させたい、人からよく思われたい、良い自分でいたい。
そんな感情ばかりが心の中に充満していて、身も心も忙しかった。実際はからっぽなのに、高いところに手を伸ばして、ただ触れようとしてたのだ。
もっと近くの人や日常を大切にして、できることを地道に積み重ねていった方が、ずっと幸せになれることに気付いたのはごく最近のこと。
それに気付いてからは、ずっと心が軽くなって自分の身丈で日々を過ごせるようになった。
SNSなどの広まりで、簡単に人の人生の一部を垣間見たり、比べるということがより身近になった現代。
心が少し苦しくなったとき、昔と変わらない景色や風景を思い出すことができたらもしかしたら本来の自分を取り戻せるかもしれない。
それは昔からある公園でも、ごちゃごちゃとした実家でも、海や山の見える丘でもなんでもいい。
新しく変わりゆくものと、いつまでも変わらないものを受け入れて心に余白を持つことができたら、きっと近くにあるものが自分の幸せだと気付くことができるだろう。
娘のまあるいほっぺを見ながら、そんなことを思った優しい午後だった。