【奈良旅1日目】吉野山の桜を求めて/七曲りの夜桜
奈良の吉野山に行こうと思い立った。思い立ったという言い方には語弊がある。いつか必ず行くと決めていた場所の一つが吉野山だった。
その動機は吉野山が、詩人・西行が愛した古くからの桜の名所であったことが挙げられる。
別冊太陽の西行特集号に吉野山の写真が多く載せられていた。一目千本満開の桜と、静けさを漂わせる神さびた雰囲気、そして西行の詩。いつかはと思う間に数年が過ぎて、これは「まとまった時間が取れたら…」などと待ち続けてはいけないと思い、旅の時間を捻出したわけだ。
出発前に吉野山の桜の様子を調べたところ、大部分は見頃を過ぎて散り始めているという情報を得た。翌日にもなれば半分くらいは葉桜になるかもしれないとのこと。完全に誤算だった。
仕方のないことだが、想像以上に残念な気持ちになっている自分がいた。見頃を逃した事実をポジティブにこじつけようと考えるがどうにもうまくいかない。「桜の神様が西行庵のある奥千本の満開を見せようとしてくれてる」。苦しいがそれでいくことにした。
退屈な高速道路を降りて奈良へと入ると、山間の静かな農村風景が続く。地形に沿った形の田んぼや、段々の畑は、田舎の原風景を見ているようで心が和む。月並みだが、昔話に出てきそうな家がたくさんあることに驚いた。
吉野山が近づくにつれて車が増えてくる。バイクも多い。自分も含め県外ナンバーが中心といってよさそうだ。吉野山の駐車場は混雑すると聞いたので、二駅隣のコインパーキングに止めて電車で向かうことにした。日はすっかり暮れていた。
吉野駅を出ると屋台と土産物屋さんが並び、大勢の花見客で賑わっていた。半分くらいは海外の人で、聞き慣れぬ言語が飛び交って異国にいるような気分になった。営業を終えたロープウェイを横目に七曲りを登っていく。七曲りの桜はライトアップされていたが、桜が咲いているのか、葉っぱなのかよくわからない。近づいてみると半分くらいは葉桜になっているのもあり、やはり調べた通りの状況であることがわかった。
明るい時間帯に見てどんな具合か。こればかりは祈るしかない。帰りは吉野神宮駅で降りてすぐのところにあるお店で中華を食べた。歩いてコインパーキングに戻り車の中で眠った。