クソキモ自分史④ 浅き夢見じ 酔いもせず
11 街を愛するということ
「事業を立案する時、必ずその原因となる事象が先行する。簡単に言えば堀君が何故その事業を立ち上げたいと思ったか。言い換えると今愛知県が抱える課題だよね。先に分かっている課題を徹底的に分析しないと、県として抱える課題を解決するための有効な施策が見えてこないはずだと僕は考える。堀君は手法から入っちゃってるから。何故その手法を選択したか聞かれた時に県民全員を納得させることができる?課題とその解決方法、つまり原因と結果は必ず線で繋がっていないといけない」
私は何も言い返すことができず、上司から返された企画資料を持って踵を返しました。デスクに戻ると私は資料を放り投げ、頭を抱えました。大学を卒業して地元の県庁に就職した私は、県の人口増加の一翼を担う定住促進施策を担当する課に配属されました。7年が経過した今でも、上司への説明は苦手でした。
その日も例に漏れず定時を過ぎても仕事は終わりませんでした。資料の修正は進むことなく、同僚が1人、2人と帰っていき、事務所に残っているのは私だけとなりました。
「事業を立案する時、必ずその原因となる事象が先行する」
私は、上司のそのアドバイスは「因果律」のことを指していると解釈しました。
全ての事象は因果律によって支配されている。つまり、今私達の目に見えている物事は何かに影響を受けた結果に過ぎず、全ての事柄はそうなるに至った原因となる「何か」が存在しているということです。
それでは、私がラウンジ音色で過ごした仮初めの4年間は、ママとの出会いは、私があの街を愛したということは、因果律の視点をもって鑑みるとどうだったか。私の過去の行動が影響を及ぼした結果だったのか、はたまたあの4年間がまだ見ぬ未来に起こる「何か」の原因となるのか。
そんなことを考えていると、キーボートを打つ指は止まり、出来の悪い私の脳味噌はあらぬ方向への思考の触手を伸ばし、やがてその思考は靄がかかったように消えて無くなっていくのでした。
突然、傍らに置いてあるiPhoneが振動しました。画面には「稲沢さん」と表示されていました。
数年ぶりの突然の連絡に驚きつつも、私は電話に出ました。
「おう堀、久しぶりやな。元気か」
「お久しぶりです。なんとかやってます。どうされました?」
「お前ママの話聞いたけ?」
稲沢さんの口ぶりから、嫌な予感がしました。
「いえ、全くです。何かあったんですか?」
稲沢さんは少々口ごもり、それから声を潜めるように言いました。
「音色、閉店するらしい。来月」
「……」
ついに「その時」が来た。空調の音が遠のくのを感じました。もう少し年を重ねたら、お店に遊びに行こう。ママから頂いた卒業祝いを使ってボトルを入れよう。私の妄想は実現しないことが分かり、落胆しました。
「ママが店を閉めるということはどういうことか、分かるよな。二度と会えんようになる前に顔見せに行っとけ。俺は来週行く」
私の人生を運ぶ道が金沢を経由し、その経験が私に多大なる影響を与えたことは確かです。就職してからの7年間、人生に迷いそうな時には、歩んできた道を振り返ると金沢の道が一際色濃く、力強く、愛おしい記憶達の残り香が鼻腔を刺激し、そして私の向かうべき方向を示してくれるように感じていました。
確かなその道の存在だけが、私の支えとなっていました。多少記憶が曖昧になっていったとしても、その存在の事実こそが私の拠り所になるはずでした。私が生きてきた道を証明する要素が消えて行こうとしている。胸が詰まる思いでした。
❇︎ ❇︎ ❇︎
3月の金沢は、風花が舞っていました。
初めて片町を訪れた時にバスから見た落ち葉の赤さ。開店前に焚く水仙のお香の匂い。ママの着物の肩越しに漂うパーラメントの煙。お客様のグラスを拭く艶やかな指先。摺り足気味に小走りするいつもの足音。
ほぼ毎日触れ合うことで脳に刷り込まれていた記憶達の輪郭はぼやけ、少し不鮮明になっていました。7年とはそれくらいの期間でした。
「おかえり。堀君」
ウォルナットの扉を開けて店の中に入ると、ママが迎えてくれました。
私は、この時の「おかえり」ほど暖かい言葉を聞いたことがありません。子を迎え入れる慈愛に満ちた親のような声色でもあり、親の帰りを喜んでパタパタと玄関に駆けていく子供のような声色でもありました。とにかく久しぶりに感じる屈託のない親愛に、千尋の海の温度も少し上げてしまいそうなほどの何か熱い滾るものが私の心を満たしていくのが分かりました。この親愛のエネルギーを間近で受け続けていれば、それは強く印象に残り、強く影響を受けるはずです。私は一人で納得しました。
久しぶりに見る店内は、あの頃から何も変わっていませんでした。もし仮にこの後団体客の予約が入り、店内がてんやわんやになろうものなら、ブランクなど関係なくすぐに働くことができる。私は確信しました。
「懐かしいけ。変わってないやろ?」
店内を見回す私にママは笑って言いました。私も笑って頷きました。
「はい、おしぼりね。お酒どうするん?ハウスのシーバスでも良い?」
私は、人生の転機が訪れるまでは店を訪れないつもりでした。そしてママと再会する時は、頂いた卒業祝いでボトルを入れさせてもらうつもりでした。それが唯一できる私からの恩返しだと思ったからです。
「またまた、何を言っとるん。それが粋やと思うとるんやろ。ボトル入れるなら一番安いのしか許さんよ。でも……堀君ウイスキー苦手やったよね?」
ママは怒った顔をして、それから少し考え込みました。それからバックヤードに戻り、1本のウイスキーを持ってきました。
ラフロイグ。ラベルにはそう書かれていました。
「ちょっと高いけどこれにしまっし。お金返して過去を精算しようとしとるんやろ。そうはさせんよ」
ママは両手でボトルを温めるように包み「ありがとうございます」と頭を下げ、それからアイスペールから氷を取り出し、ロックグラスに3つほど入れました。金褐色の液体が氷を揺らしました。
「あれから片町も人が減ってね。それでコロナやろ。もう潮時ねん」
決め手は常連客が遠のいたことでした。ただでさえ人出が減っているところに、得体の知れない感染症が猛威を振るうと、人々は簡単に片町から離れていきました。そして、ママは知っていました。一度街を離れた人間が再び戻って来ることはないということを。
「音色で働けて本当に良かったです。僕の財産です」
「大事に思ってくれるのは嬉しいけど、今はこんなんやろ。大事な場所が永遠に在り続けることなんてないのよ」
ママは投げやりに言いました。
「それじゃ、ゆっくりしていって」
ママは私の元を離れ、他のテーブルに移っていきました。私は意表を突かれました。7年ぶりの再会であるため、閉店まで私に付いてくれるものだと思っていたからです。
私は仕方なく煙草に火を付け、ママが注いだラフロイグを口にし、それから顔を顰めました。
何かを焦がしたような匂いや、薬品のような香りが今まで息を止めて飲んだどのウイスキーよりも強かったからです。
面食らった顔の私を、ママは遠くのボックス席で笑って見ていました。ママが「そうはさせない」と言った理由がようやく分かりました。
それからというもの、ママは頑なに私に付こうとしませんでした。ママの顔を見ることができただけで満足だと、ほどほどの時間に退店を申し出ると「まだ帰らんやろ?今日は私の我儘を聞きなさいよ」などと言って会計を拒否するのでした。
これには私も大変困らされました。街を去る寂しさをママとようやっと共有できると楽しみにしていたからです。どうやらママは私と会話をしないつもりであるように見受けられました。数十年を片町で戦い抜いた人間に慰みは不要だと言うのです。私は、ママのことを分かったようで分かっていませんでした。
深夜12時を回る頃、最後の客が帰りました。ママは店の外に見送りに行き、残ったグラスを片付けると、カウンターの私の正面に座り、パーラメントに火を付けました。
ママは俯いたまま煙を吐きました。どこか寂し気な、物憂げな、そんな表情でした。
ママは2本続けて煙草を吸いました。そして、顔を上げて言いました。
「18歳から、私はこの街で働いてきたの」
あの頃ママの瞳の奥に灯っていた青の炎は、今はもう窺い見ることはできませんでした。
「人生のほとんどを過ごしたこの街を去るということは、人生を諦めることと同じねん」
「今月の終わりに私は死ぬ。そして来月からまた別の人生を歩んでいく。死ぬのがこんなに怖いとは思わんかった。笑けてくる」
金沢を去る時、ママが私に言った言葉を思い出していました。私にとっての片町が、大切な場所が、ゆっくり、ゆっくり弱っていって、呼吸を止めようとしていました。
ママは煙草の灰を落とすことなく、話し続けました。
「堀君、生きろ。生きて、生きて、生きるんやよ。私は全力で駆け抜けたと自信を持って言える。どうか、堀君にもそうあって欲しい」
「さっきは大切なものに永遠はないなんてひどいことを言ってごめん。でもそういうものねんて。この世には移り変わるものと変わらないものがあるの。貴方はその両方を美しいと思うことができる人間よ。やから私は貴方のことを人間として好きねん。どうか、このままでおって欲しい」
「さあ、もう行きまっし。来てくれてありがとう。絶対に貴方のことを忘れないから。貴方がどこで何をしていても私は金沢から応援しとるから」
帰り際にその日入れたラフロイグのボトルを「大事に飲め」と持たされました。
そうして音色の扉はギイと音を立てて閉まっていきました。
子供から大人への過渡期という精神の発達の上での重要な時期を共に過ごした宝物達、私という人格を構成する要素達は、悉く私の元から去っていきました。
閉まった扉をしばらく眺め、そして振り返ると、そこには知らない街が広がっていました。片町はもう私の戻るべき場所ではなくなっていたのです。
ラフロイグを片手に閑散とした片町をゆっくり歩きました。
触れようとすると蕩けて、掴もうとすると霧散して、愛そうとすると離れていく片町でした。あの頃愛したこの街は、もう私の目には温度を失って映りました。ネオンサインはただの煩い光に、街灯は青白く無機質に、すれ違う人は少なく、スクランブル交差点には暇を持て余す知らないキャッチが数人ぼんやりとしているだけでした。
それでも、確実に「そこ」に存在していました。私が愛した街は確実に私の目に映っていました。目の焦点を暈し、7年前に思いを馳せると、暖かく橙色に包まれた片町が眼前に在ったのです。
今度は重要な価値判断を誤らなかった。私は快哉を叫びたくなりました。
私は、この街を愛すことが出来ていたのです。街で出会う人間との時間を愛し、学び、大切に思うことが出来ていたのです。いつかは街が老いて消えゆくことを知りながら、それでも良いと慕うことが出来ていたのです。
ママが「街が弱っていく様を見届けろ」と私に伝えた意味が少しだけ分かった気がしました。目を瞑ればいつでも暖かい片町が私を迎えてくれる。今まさに目の前に広がる知らない街を見渡すと、その思いはより一層強くなりました。
「おい、なんしとれんて。早う行かんけ」
稲沢さんの巨大な手が私の背中をドンと叩きました。傍らで都さんがニヤリと笑っていました。
「ええ、すぐ行きます」
私は笑って言いました。
「でも、その前にもう一度だけ」
私はネオンの電源が消えた音色の前に戻りました。もう二度とできないことをやりたかったからです。
私は、ウォルナットの扉に向かって深く、深く頭を下げました。
「ママ、今までありがとうございました。お疲れさまでした」
扉の向こうで、ママが笑顔で手を挙げた気がしました。
スクランブルを通り過ぎる時、今度は日栄の看板を仰ぎ見ませんでした。今の私にその必要はないと思ったからです。
日栄の看板が求人サイトの看板に代わっていたことを知ったのは後のことです。
12 今を生きる
こうして私を象る大切な記憶達は存在の証明を失いました。当時関わった人間は一人残らず消息が分からなくなっており、お店自体が無くなってしまった今となっては、私が当時の記憶を思い出さなくなった時点で、音色が存在した事実も、それを証明する思い出も消滅してしまうからです。
きっとママは、このことを知っていました。私が音色のことを思い出さなくなった時が、真に音色が消えて無くなる時であると。知っていたからこそ、あの時ママは私にラフロイグを持たせたのだろうと思います。
まだ私には早いウイスキー。たまに出してきてこの薄い緑色の瓶を眺めます。
つい昨日、あの頃やっていたようにお酒の減り具合を測ってみました。
上から8cm。まだまだ大量に残っています。
これだけ音色のことをたくさん思い出したのだから、この思い出の燃料を1cmか2cmくらい消費しても問題ないだろう。
少し飲んでやろうと蓋を開けて、またすぐに閉じました。
私はまたしてもママにしてやられました。音色の記憶を精算できるのはまだまだ先になりそうです。
確かにこの世の中には移り変わるものと変わらないものがあります。
でも、この上から8cmのラフロイグは変わらない方が美しい。そう断言できます。
この中途半端に飲んだラフロイグが存在する限り、音色は私の中で生き続けるから。
また阿呆なことを考えてしまった。
私はラフロイグをそっとクローゼットの中に片付け、書斎を後にしました。
リビングには、妻が休んでいました。
「どうしたの?なんだか楽しそうじゃない」
私は笑って、答えました。
「うん。『今』が一番楽しいよ」
おしまい
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