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クソキモ自分史① 色は匂へど 散りぬるを

1 はじめに

 永遠に思えるほど長く、それでいて刹那的であったモラトリアム期間。私は、この天より賜った猶予期間を曖昧模糊として過ごし、何を発見し、何を成し遂げるでもなく惰眠を貪るためだけに浪費しました。
 そして、その後丸裸の状態で社会に放り出され、今年で三十路を迎えました。私はつい昨日まで、当時のモラトリアム期間の沈殿物、曖昧模糊の澱みは、最早出涸らしとなった残り滓を口を窄めて味わうために存在しているものだと認識していました。
 青春の残滓は往々にして朧気で儚いものです。いつかは消えてなくなるものです。当時関係した全ての人間の記憶から、当時に関わる内容が剥がれ落ちてしまった時、私の愛すべきモラトリアム期間は存在の証明を失い、私は、私自身を象る大切な思い出達と決別せざるを得なくなります。
 その状況を手放しで迎えることはどうにかして避けたい。つい昨日、私は強くそう思いました。当時の出来事を明瞭に思い出すことができなくなっていたからです。当時の記憶を思い出すことができなくなるということは、青年期から壮年期への健全な成長を意味し、まさしく「今を生きる」を体現出来ている状態であろうと考えます。しかしながら、私はそれに抵抗したくなりました。前述したように、当時の思い出達は、私自身を象る重要な要素であるからです。過去の出来事やそれに伴う心の動きを「経験」と呼ぶのであれば、私自身を構成する要素は全て経験から摂取した栄養素であり、私は今多くの経験の堆積の上に座っているわけであります。 三十路を迎えた今、当時の記憶と袂を分かつ前に、私を象る過去の人生経験を整理し、丹念に咀嚼をした上でこれからの人生を生きていきたい。私はこの度そう思いました。
 とりわけ、学生時代に勤めたアルバイト先での出来事が実りある経験を私に与えたものであると自己分析しています。せっかくの機会ですので、実りのあるもの、実りのないものの区別なく、記憶している出来事を記録として記します。

2 黒服と原付

 私は大学1年から4年までの間、水商売のボーイとして働きました。所謂「黒服」です。ボックス席5つ、カウンター5人分の小さなラウンジでした。オーナー(=ママ)の方針でボーイは私が通う大学からしか雇わないことになっているようで、たまたま初代ボーイが入っていたサークルから毎年1名ずつ選定され、半ば強制的に雇われることが同サークルの伝統となっていました。運悪く悪しき伝統のあるサークルに入った私は、運悪く先輩に目を付けられ、運悪く声を掛けられます。
「堀、お前バイト始めたんけ?」
「いえ、まだです」
 初めて経験する北陸の寒さにやられ、背中を丸めてキャンパスを歩いている時のことでした。同じサークルの先輩である稲沢先輩に呼び止められました。身長が1m90cmもある稲沢先輩は、サークル仲間から熊と呼ばれ恐れられていました。
「そしたら、いいバイト先あるから紹介するわ。うちのサークルから毎年一人だけ紹介で働くことが出来るんやけど、今年は堀を推すことにしてん」
「いいんですか?どんな仕事です?」
「うーん、飲食やな。仕事の内容はいいよ。またしっかり教えてやるから。とりあえずいいな?バイトやるよな?」
「ちょっと即答は……。次稲沢さんにお会いする時までに返事でも良いですか?」
「今答えが欲しいげんて。ところでお前足はあるか?大学何で通っとる?」
「バスです」
「よし今決めるなら俺の原付やるわ。今決めないなら原付は他の奴に渡す。気持ちのいい返事をした奴にな」
「是非バイトやらせてください。原付もください」
 かくして大学に入学して半年が過ぎた頃、晴れて(?)私のアルバイト先は決まりました。後はママの面接を経て本採用を待つのみです。この後私は、原付に釣られたことを激しく後悔することになりますが、今となっては原付に引き寄せられた不思議な縁に感謝しています。
 余談ですが、この時餌として出された原付は、ママからボーイに支給されたもので、新人を入れる時の交渉材料とするように引き継ぎがなされています。私が大学を卒業する時、原付は後輩に託しました。私の時点で走行距離は相当なものでしたが、あの原付は今でも白煙を上げながら金沢の街を走っているのでしょうか。今となっては知る由もありません。

3 呼吸する街、生きている街

 紅葉が終わり、道路の隅が落ちた葉の赤茶色で色づく頃の夕方でした。私はバスに揺られる間、暗鬱な心持ちで地面の枯れ葉達を眺めていました。
 私は元来「今」を生きる能力を持ち合わせていませんでした。バスに揺られる私は、周りの景色と共に後方に流れていく赤茶色の落ち葉を目で追うこともせず、「高校時代に戻りたい」などと腑抜けたことを考えていました。思えば高校に入学した時も「中学生に戻りたい」としきりに零していたように思います。腑抜けの精神はいつまでも腑抜けており、変わることはありません。
 私が「今」を生きることができない原因は、物事の価値を正しく測る能力を著しく欠いていることにあると考えています。とりわけ「大切さ」であったり、「得難さ」であったり、質量を持たない概念を対象とした価値判断が不得意です。過ぎて行った過去の美しい部分だけを有難がり、目の前に確実に存在する今をないがしろにすることが往々にしてあります。もう二度と戻らない過去に思いを馳せ、そしてその思い出の綺麗な上澄みだけをスプーンで掬い取り、思考を作用させてぶくぶくと肥大化させ、最早原形を留めぬ「それ」をニタニタと笑って眺める薄気味悪い男、それが私なのです。
 かようにしてその時々の重要な価値判断を誤り続けた結果、所謂「失ってから気付く」状態に陥り、あの頃に戻りたいなどと間抜けな愚痴を繰り返し零すのです。バスに乗った時に暮れなずんでいた夕空は、完全に日が落ちて夜の様相を呈していました。

「次は、片町、片町」
 また情けない妄想をしてしまった。今までの短い人生の中で幾度となく繰り返した自省をまたしても繰り返しているうちに、私を乗せたバスは目的地に到着しました。
 街に降り立つと、今までに見たことのない光景が広がっていました。大声で騒ぎながら行き交う大人達、腕を絡め合いながら歩いていく男女、煌々と灯るネオンサイン、道路脇に列をなす大量のタクシー達。
 18歳の私には片町は輝いて映りました。バスや電車は30分に1本程度の田舎町に生まれ、都会の喧騒とは無縁な生活を送ってきた私には、はなはだ刺激的な光景でした。街が生きている様を初めて目の当たりにしました。暗鬱だった気分が立ちどころに高揚するのを感じました。「街が呼吸している」と。

 片町のスクランブル交差点から犀川に向けて少し歩いて横道に入ったところ、雑踏から離れた場所に、「ラウンジ音色」はありました。ウォルナットの重厚な扉に、真鍮のドアハンドルが私に威圧感を与えました。厳かな木製の玄関ドアを前に、私は次の一歩が踏み出せずにいました。右手が鉛のように重く、足が「行きたくない」と駄々をこねました。この先にどのような世界が広がっているのか、想像もつかない大人の世界を前に少年である私は大いに逡巡しました。
 意を決して扉を開けると、熊のような大男が待ち構えていました。
「おう堀、来たか」
 スラックスに白いシャツ、蝶ネクタイにベストといつもと違う装いの稲沢先輩は、私をボックス席に案内しました。
「ここがボックスの1番な、あそこが2番で、あそこが3番。まずは番号と場所を一致させるところがスタート地点や」
 テーブル横の床に片膝をついて話す大男の説明のまま視線を移動させると、既に店内には数組がテーブルに座っていました。程度の良さそうなチャコールグレーのスーツに身を包んだ年配の男性客の正面には、黒のドレスを纏い、浅く椅子に腰かけた女性が着いていました。女性はポーチからハンカチを取り出すと、男性のグラスを手に取り、ハンカチでグラスの汗を優しく拭き取りました。その所作が余りにも美しく、私は暫くの間その女性の手元に見惚れていました。
 我に返って辺りを見渡すと、それぞれのボックス席には男女が腰かけ、和やかに談笑していました。間接照明で薄暗い店内、男と女、煙草の煙、ウイスキーのボトル、アイスペールの少し溶けた氷、壁際に生けてある蘭。初めての繁華街に色めきだっていた私の心は、初めて水商売の世界を目の当たりにし、興奮を忘れ、忽ち不安の波に飲み込まれそうになりました。
「稲沢さん、この後の面接って何を話すのでしょうか。大丈夫でしょうか。辞めたくなったら辞めてもいいのは本当でしょうか」
 大男は「ウハハ」と小声で笑いました。
「心配せんくていいわいや。ママには俺からよく言ってある。お前は安心して話すだけで良い。そしたらママ呼んでくるからこのまま待っといて」

4 道

 そう言って稲沢先輩がバックヤードに下がると、先ほど私を飲み込みそうになった不安の波が勢いを強めてまた襲い掛かってきました。
 散らかった脳内を整理することもなく、ふと店内の壁面を見遣ると、「道」と書かれた大きな書が掛かっていました。
 道。愛知県の田舎町に生まれた私は、地元の中学校を卒業して、平均より少し偏差値が高いだけの自称進学校に進学しました。その中で抜きん出るわけでもなく、落ちぶれるわけでもなく平凡に過ごした私は、運よく金沢のとある大学に進学することが出来ました。愛知県の田舎町に端を発したこの道は、人並みの紆余曲折を経て金沢まで繋がりました。私の生きる道は、これからどこに繋がっていくのか。ここまで繋がった意味は。意義は。
 不思議な縁で繋がるこの道は、水商売の世界を通過していきそうです。この経験にどのような理由があるのか。自分には何が課されていて、何を見出す必要があるのか。
 普段の日常を離れ、突として異空間に放り込まれた私は、意味を持たないブレインストーミングを繰り返していました。慣れない(慣れるはずもない)環境に急には適応できない私の精神を自衛し、自分の世界に閉じこもるため、偶々目に入った「道」の書から思考を派生させていきました。
 この後の面接では、何を聞かれ、何を話すのだろう。店内を漂う慣れない煙草の匂いが私を狼狽えさせました。聞いたことのないR&Bの有線が流れる空間を、戸惑いながら、また若干冷静に味わっていました。
 視界の端のバックヤードの出入り口に人の動きがありました。顔を向けると、着物姿の女性が近付いてきていました。ベージュの着物に光沢のある同系色の帯。丁寧にセットされ、ボリュームのあるヘアスタイル。整った顔のママは小柄ながら圧倒的な存在感を放っていました。小さな歩幅でスッスッと音を立てて歩いてきたママはボックス1番の私の正面に座り、少し後ろを歩いてきた稲沢先輩は私の後ろに立ちました。
「初めまして。ラウンジ音色オーナーの大川です。貴方のことは稲沢から伺っていますので面接は合格です。ただし、ここで働いていただく上で約束していただきたいことを説明します」
 ぐらぐらと私の視界が揺れるのを自覚しました。正面から真っ直ぐに私を見るママの瞳は非常に大きく、黒く、そしてその奥には静かに燃える青の炎が窺えました。人はどうやっても勝ち目のない人間に相対すると、動揺のあまり視界を保てなくなるのです。
「まず一つ、この店ではお客様が一番です。お客様を何よりも尊重してください。お客様が仰ることは全て正しいと思ってください。この店の中では貴方や世間の常識は忘れてください」
「そして、お客様の次に私を尊重してください。貴方達ボーイは私達が滞りなく仕事をするために働いていただいています。女の子達をまとめるのは私です。また、小さな店ですので貴方達ボーイの上司も同じく私です。この店のオーナーで、貴方の上司である私が何を言っても反抗的な態度は取らないでください」
「もう一つ、貴方が辞める時は必ず代わりの人間を見つけてからにしてください。是非『貴方の代わりはいない』と周りに思ってもらえるように頑張ってください」
 ママは一度も私から目を外すことなく話し終えました。これはとんでもないところに来てしまったぞ。私は目先の原付に釣られた浅ましい自分を呪いました。ただ、ママの主張の根源は理解できないわけではありませんでした。運動部出身の私は、水商売の世界の精神性を少しだけ理解しました。両者の精神構造は似通っているのかもしれません。
 続けてママは言いました。
「最後に、自己紹介をしていただけますか。稲沢から貴方の話はようよう聞いておりますが、貴方自身の口から是非聞きたい」
「はい、私は愛知県出身で───」
 自らの出身、家族構成、これまでの部活動での実績、壁に掛かる書を見て思いついたこと。月並みな内容ではありましたが、思いつく限りの語彙を駆使して必死で説明しました。
 一生懸命に説明するさなか、私は「この人に認められたい」と躍起になっていることを自覚して驚きました。水商売の世界で生き抜くことは並大抵の努力では成し得ず、多くは淘汰されていきます。この世界で成功を収めているママは、人を惹き込む能力に長けているようでした。努力で到達したのか生まれ持っての能力か分かりませんが、とにかく私は初めて会話したこの時既に、ママの人間的な魅力にあてられ、惹かれていました。
 ママは話を聞き終わった後もじっと私を見続けました。しばらく私を見つめた後、後ろに立つ稲沢先輩にこくりと頷きかけ、最後に私に初めて笑顔を向けました。
「ありがとう。じゃあ、来週からよろしくね。シフトは稲沢と相談してね。今日はもう帰りまっし」私は自然と肩から力が抜け、脱力するのを感じました。
「お疲れ。ママが標準語なのは最初だけやよ。じゃあな。気をつけて帰れよ」
 店の出口まで稲沢先輩が送ってくれました。「仕事しっかり教えてやるからな」規格外の大きな手が私の背中をドンと叩きました。「一週間で仕上げてやるわ」扉が閉まる瞬間、大男はニヤリと笑いました。
 店を出てから少し歩いて、しばらくそのまま立ち尽くしました。今までも、これからも関わることのないと思っていた世界に触れた私は、大きなストレスに曝されて呆然とその場に立ち続けるしかできませんでした。
 誰かの肩が強くぶつかり、私は尻餅をつきました。見上げた目線の先には、日栄の巨大なネオンサインが燦然と灯っていました。街灯は相変わらず青白く、行き交う人達は当たり前のように全員が他人でした。


(続)

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