少年時代なにもないまちで初めて出会った建築の原体験
今日は雑談をしたいな、と思って記事を書いている。まあ、建築に関することだけど。
僕は、三重県の生まれだ。近畿地方と、東海地方の間のところ。
愛知生まれの友人には三重は「東海じゃない」と言われ、大阪の友達には「近畿とちゃう」と言われる。どちらにも属し、どちらにも認められない、あいだのまち。
そんなところで育った。
郊外のイメージのステレオタイプで、道路はやけに広く、駅前のメイン通りには中途半端に古びた建物が立ち並び、道の広い商店街は車が通るだけでさびれている。そんな魅力を感じないまちで過ごした。
有名な建築家の作品などなく、建築に学ぶべきものがなかった。と思っていた。
大学で建築を学んで思ったことは、京都生まれの人や、東京や神奈川生まれ、石川生まれの人など、古都や有名な建築作品がある県の人がうらやましかったことだ。
三重には建築の原体験なる見本となるべきものがなかった。と思っていた。
...今でこそ、徐々に建築家の作品がぽつぽつとみられるようになったけど。
つい先日、僕は小学校高学年の時に、漫画家になることをあきらめ、建築設計の道をめざしたと書いた。
親に、自分がなりたい将来を打ち明けると、県内のとある博物館に連れて行ってもらった。鳥羽のはずれにある、山と海の間にある博物館。
内藤廣さん設計の、「海の博物館」だ。
建築に縁がない両親だったので、建築家のことはつゆしらず、変わった建物だよということで連れて行ってもらった。
真っ黒い切妻屋根の、倉庫みたいに大きな建物、その建物群同士に光や風が通るようによく考えられた配置。
木造の構造がそのままに表現された内部空間。
複雑な木組みの間から、自然光が漏れ出る天窓。
建物と建物の間の、懐かしくも、先進的である庭空間。美しい水盤。
どこかしこもデザインされた建築に初めて触れた少年の僕は、博物館の展示物もそこそこに、建築空間にうっとりしていた。
建築との出会い。
あれから20年以上経った今でも鮮明に覚えている。
展示室で感じた光、庭で吹き抜けた風、静かで時が止まったような悠久な時間の流れ。
思うに、どの建物も同じような情報の少ないまちに慣れていた少年は、すべてが考え抜かれた建築空間を経験し、情報の嵐に飲み込まれ感覚が震えた。
五感が震えた。
あの日、確かに建築家の名も知らなかったし、前もって建物のすばらしさも知らなかった。でも、デザインの「デ」も知らない少年の心を確かに震わせた。
建築設計には、人の感覚を、心を震わせる力がある。そう思う。
少年の頃の出会い、「海の博物館」との、原体験で確信した。
追伸:「海の博物館」は改めて建築物語でしますね。
ぱなおとぱなこ
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