特論31.「のどを鍛えたければ『北国の春』を歌いなさい」週刊ポスト(10月4日号)についての補足説明
○概要
西山、渡辺両医師の医学的説明のあとに、私の選曲が載っているのですが、表紙左端にデカデカと掲げられた、このキャッチコピーが誤解を生じてはいけないので、この記事内容について、補足説明をしておきます。
同号には、先日バッシングされた「韓国なんか要らない」の記事掲載についてのお詫びが載っています。この記事はそのようなことはならないと思うのですが、「医学、生命に関わる表現には慎重であるべき」というのが私の考えで、これは、「誤嚥性肺炎の予防」という、生命に関わる、きわめて重要な問題ですから早急にとりあげました。
私は、国立障害者リハビリテーションセンター・学院で講師を務め、のどの鍛え方の本をこの二人の医師の発刊している間で一冊出しています。(「人は『のど』から老いる 『のど』から若返る」[講談社])その経緯での取材です。
○嚥下と誤嚥
お二人の記事内容や見解に、私が加えることはありませんが、一か所、「『喉頭挙上筋』、すなわち『のど仏の筋肉』」とあるのは、喉頭を持ち上げる筋肉と喉頭の筋肉(というのは、喉頭内の筋肉のように思われる)とで、誤解しやすいでしょう。のど仏=喉頭は、軟骨で、内部に声帯を持ちますが、支えられておらず吊るされていて、それを引き上げる筋肉が、喉頭挙上筋群なのです。(嚥下に重要な筋肉です)
誤嚥(嚥下障害)との関係をみると、
1.摂食:口に食べ物を入れたとき、それを感知する口腔内のセンサー(舌、頬、顎など)の働き
2.咀嚼:食べ物を砕き、口内で丸める(歯、顎、頬などの働き)、唾液が分泌され、歯の噛み合わせなども関係
3.嚥下:舌などで喉の奥に押し入れ、食道に落とし込む。このとき、軟口蓋で鼻への通路を遮断、喉頭蓋が下がり喉頭が上がり、気管の入り口を遮断し、食道の入り口を開く。これを、0.8秒くらいでタイミングよく行わないと、むせて咳が出る。
こういった機能が衰えると、知らずに唾液などを誤嚥してしまって、誤嚥性肺炎につながるということです。ちなみに、空気が食道に入るのは問題がなく、ゲップが出るくらいです。
○ヴォイトレの効用
これをヴォイトレと関連づけると、ハミングやリップロール、フェイストレーニング、発音トレーニング(滑舌、早口ことば)、舌の運動などが、その防止のために推奨できます。
声帯は、肺呼吸で水の入らないように気管を守る弁であったのを、その開閉を発声に使ったのですが、反対に、発声として、話したり歌ったりすることから、その筋肉や周りの筋肉、センサー機能(感覚)を鍛えて、摂食の生理的なシステムをリハビリしていくということです。そこでは当然、声帯やその周辺の働きをよくするために動かすとよいのです。筋肉は使わないと劣化するのですから。
一般の人は、高い声を出すと喉頭が上がり、喉頭を上に引き上げる筋肉(先の喉頭挙上筋群)を鍛えられます。この動きが悪いと、誤嚥性肺炎だけでなく、気管に食べ物が入り窒息することもあります。
姿勢や呼吸は、発声にも飲み込みにも関係してきます。歯並びや噛み合わせが悪いと、明瞭な発音ができなくなります(サ行など)。食べかすが口内に残るのも、よくありません。
つまり、口腔ケアで、ポジティブに勧められている運動や体操は、ヴォイトレと重なっているところがとても多いのです。ですから、リハビリはともかく、「予防ということならヴォイトレを」というのが、拙書の主旨でした。
○しゃべることと歌うこと
次の観点は、発声、しゃべること、歌うこと(さらに選曲)とヴォイトレとの関係です。私としては、そのキャッチコピーは、「『北国の春』を歌いなさい」でなくとも「おしゃべりをしましょう」でも充分です。
できたら、身振り手振りで表情を付けて全身で、表現しましょう。大きな声、高い声、低い声もつかって、大げさなほどしゃべったのなら、それは、ヴォイトレや歌うことと同じようなことになります。芸人、役者のせりふもそういうものでしょう。
今の日本でそういう日常を送っている人には、元より必要はないでしょうが、それは相当、特殊な人たちでしょう。これは、そうではない高齢の男性で、周りのとの会話もなくムッツリスケベで「週刊ポスト」を買う層を想定しての特集です。
私は、この読者の選ぶカラオケ曲と歌手リストをみて、いささか驚嘆しました。ベスト5が、1.「酒よ」、2.「北国の春」、3.「雪国」、4.「なごり雪」、5.「津軽海峡冬景色」、以下、「乾杯」高校三年生」「大空と大地の間で」「まつり」「銀座の恋の物語」…。歌手のベスト5が、1.五木ひろし、2.サザンオールスターズ、3.吉幾三、4.石原裕次郎、5.北島三郎、以下、松山千春、石川さゆり、小林旭、中島みゆき、テレサ・テン…。
共にベスト100くらいまでみましたから、上位ということで選んだわけではありません。
○歩くことと話すこと
毎日歩くことの大切さは多くの人がわかっています。それも目標が1日1万歩から8千歩、今や6千歩とか5千歩と、あるいは、早歩きとか大股歩きがよいとか言われるにようになってきました。細かいことはどうでもよく、「できるだけ歩くことがよい」ということです。
それと同じように、私は、「毎日しゃべることがよい」、正味15分でよいと提唱しています。「どのように声を出すか」ではなく、まず「毎日、声を出すこと」が大切ということです。
転んで歩けなくなり、寝たきりになると弱っていく、筋力が落ち、姿勢、呼吸すべてにダメージがきて、何か月かで死んでしまうことが、高齢者には多いのです。それだけではありません。もう一つ、加えて覚えておいて欲しいことは、そういうときは、しゃべらなくなることです。そこで食べる機能も衰えます。食欲も出ず食べる量も少なくなるので、なおさらです。免疫力も落ち、誤嚥性肺炎が死の近因となりやすいのです。
予防としては、できるだけ毎日全身を使うことです。話すことにおいても同じです。真面目に間違えずに上手に一曲歌うことなど、3分間の曲のうち、1分ほどの声出しで運動にもなりません。振り付けたり動いたりすると呼吸も深くなり、声も出やすくなります。声出し運動と考えるなら、むしろ、いい加減にリラックスして、いつもより少し大きく、少したくさん声を出す方がずっとよいのです。
先の、理想的なおしゃべりの条件は、話すときに相手がフランクな外国人でもない限り、なかなかかなえられません。しかし、歌唱を少し本気になってやるとなれば、全ての条件が満たされます。朗読やせりふを読むことでもできますが、場=環境と日常からの切り替えを考えるなら、カラオケが手軽で楽しいでしょう。
○選曲ということ
一人カラオケを楽しんでいる人には、選曲は問いません。声を出す時間を多くとることです。歌でなくても朗読でも外国語会話でも読経でも構いません。歌でなくてもよいのです。カラオケボックスという声を出せる場と時間を確保してください。
私なぞは、出張などで、声を出す機会が少なくなると、レクチャーやレッスンの準備運動のためにカラオケボックスに入ります。「履歴」から曲名も見ずに2、30曲入れて、メールを見ながら(これはあまりよくないのですが)声を出しています。以前は、知らないメドレー曲や外国語曲を入れて即興でそれっぽく歌っていました。声の調子チェックなら、歌ほど簡単なものはないからです。
歌っていても、必ずしも声を出しているとは限らないので、しっかりと声を出すヴォイトレの方が予防としては適切かと思います。となると、選曲も声の出せる曲がよいわけです。この目的では、曲の難易度やうまく歌える、歌えないは関係ありません。
以前、「モーツァルトを聴くと頭がよくなる」ということについて、クラシック曲を、あるいは、音楽を聞くと、全く聞かない人より頭がよくなると思われるが、モーツァルトでなくてはならないという根拠はないことを述べました。
モーツァルトで「野菜がおいしくなる」「成分分析したエビデンスがある」としても、それは、ベートーヴェンやバッハで比べていないのですから、モーツァルトと限定するには無理があります。まして、好き嫌いや育ちの違う人間について一括りにするのは、相当無茶なことでしょう。しかし、そういうことが似非科学として、世間に通ってしまうものです。
とはいえ、そのおかげでクラシックなど聞かなかった親が、子供にモーツァルトを聞かせるうち一家でクラシック愛好家になっていく、そういうきっかけになるなら、とてもよいことと思います。ということで、「『北国の春』を歌いなさい」も、同じようなことと思っていただくとありがたいです。
○喉の運動になる曲
選曲の大切さは、わからなくもありませんが、むしろ、楽しみ方や全身の使い方などの方が、大きくものをいうと思います。そういうことでは、好きな曲、想い出のある曲ほど、心や体が入るものでしょう。曲によって効果が違うとするなら、その人の曲との関係、曲を歌うときの状態の影響の方が大きいでしょう。
高低の幅のある曲、高低を行ったり来たりする曲は、(のど仏を低い位置で安定させられる声楽家やヴォイトレ上級者の除くと)喉頭が上下するので、挙げる筋力をつける運動になります。
裏声、地声については、発声の原理上、声帯の筋力を万遍なく使うのが、地声なので、その方がよいということでしょう。
先述したように「喉の筋肉」というのは、喉にもいろんな筋肉があり「一群」としたところでまとめられるわけではないのですが、声帯筋や内喉頭筋群、外喉頭筋群など、働きの全く違うものを一緒にしているので、かなり誤解を与えやすいのです。その点は、「のどのトレーニング」というのも同じで、「のど」とは、きわめてあいまいで便利なことばとして使われるのです。
ロングトーンは、ハミングと同じで声帯を開閉、振動させる発声の発生(起声、声立て)の動き、さらに声の維持に呼吸の支え、呼吸筋群ほかを使います。
ささやき声は、声帯を振動させないので負担をかけないともいえますが、過度に使うと疲れさせることも多いのと、個人差もあります。それで歌うとなると、ハスキーな声同様、トレーナーの立場からは、お勧めできません。
アップテンポとスローテンポは、声帯を安定して使い疲れさせないなら、無理のないテンポを選びましょう。今の曲は速すぎるものが多いので気をつけてください。滑舌、舌の運動などは、速いものの方がよいこともありますが、ていねいに発音するようにした方が向いている人が多いでしょう。
やや虚弱な高齢者ということを考えると、喉に負担がきて障害が起こりうるリスクを考えなくてはなりません。喉に負担が来るのは、高い声、大きな声、かすれ声であり、長時間(特に間をあけないで続けたとき)歌うなど、こうした条件が重なるほど、発声障害の方のリスクは高くなります。
アルコール(喉を乾燥させ、かすれやすくする。少量なら、最初はリラックスさせ声帯も使いやすくなるが聞く力も鈍くなるので勘違いしやすい)、飲食(胃にたまると呼吸が浅くなる)にも気を配りましょう。
○具体的な選曲~生の声の力のある曲と名唱と童謡唱歌
選曲については、私がヴォイトレとして、これまでの拙書にあげてこなかった曲ということでは、なかなか新鮮です。「喉によくない曲、不向きな曲を」と言われたときには困惑しました。それは発声や歌い方によることが大きいのであって、曲によってということはないからですが、私の役割は、具体的にあがったリスト曲にお墨付きを与えることで、うまく解説なども付けてくれたのです。
今さらながら、リストの曲をみると、千昌夫さんや吉幾三さんなど、昭和の歌手は、今より生の声の力があったと思います。「雪国」は、最後のフレーズを昔、レッスンで使った覚えがあります。
口腔ケアの現場では、音楽療法士などによって、昔から童謡、唱歌はよく使われてきました。体を動かしながら口ずさむことでリハビリ効果があるので、今回の私の貢献というのなら、この手の曲を入れたことでしょう。それらの中には、芸術的ともいえる名曲も多く、日本人(特に高齢者)には、ロックやフォーク以上に(カラオケをやらない人ならなおさら)なじんでいるのです。そうした歌のもつ豊かさ、歌詞のよさ、曲の美しさ、オノマトペに代表される発想やアイディアのすばらしさには今さらながら、目を見張るばかりです。(ちなみに研究所では、「日本の歌120選」も教材としています。)
不向きな曲であがったのは、イメージとして、森進一さんや近藤真彦さんからあたりで、カラオケではどうしても原曲、原Key、創唱歌手の声色に近いのがうまいとか受ける傾向があります。そこで多くの人は、喉の運動によくない、無理な努力をしてしまいがちです。こうした曲や歌手に何の落ち度も罪もないのですが、不向きとなってしまいます。「天城越え」などは名唱の一つですが、プロの名唱であるほど、一般の人には歌い方によっては、喉によくも悪くもなることもあり、いわば“劇薬”となるのです。
のどにギリギリ負担をかける(その分、充分休ませる)のも、ヴォイトレの高度な処方の一つ(裏メニュ)ですが、こういうところでは扱えません。
ヴォイトレは、トレーニングですから、少しだけ実力以上のことを行うわけです。喉のトレーニングといわれると、今までよりも少しだけ、大きく長く声を使うことです。喉を痛めていなければ声を使わないような日がないようにすることです。人に対して声を使いつつ、相手のいないときは、声を出すメニュを使うのです。健康のためにもそういうことを考えて、毎日を送って欲しいものです。
○付言
今回は、触れていませんが、喉に食べかすが残るのは、よくありません。梨状陥凹(食道の入り口の近くのへこみ)に残りやすいからです。
その対策としては、歯を噛みしめ飲むときに顎を引く、首を左右に回しながら飲むのが効果的です。最後に、お腹から「ハッ」と息を吐いておくと、さらによいでしょう。
最後にここに載らなかった曲を、いくつかあげておきます。是非、カラオケで歌ってみてください。
「ドンパン節」「カチューシャ」「黒い瞳」「ともしび」
「見上げてごらん夜の星を」「ここに幸あり」「アカシアの雨のやむとき」「君恋し」「王将」「コーヒー・ルンバ」「スーダラ節」「いつでも夢を」「遠くへ行きたい」「夜明けの歌」「若者たち」「ブルーシャトー」「銀色の道」「ブルーライトヨコハマ」
「恋の季節」「誰もいない海」「ジョニーへの伝言」「襟裳岬」「卒業写真」「酒と泪と男と女」「フィーリング」「いい日旅立ち」「青葉城恋唄」「UFO」「さよなら」「Young Man」「いとしのエリー」「贈る言葉」「花」「恋人よ」「北酒場」「赤いスイトピー」など。
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