ありがとうを伝え続けた2年間。嵐の活動と私の記憶
人生の半分以上を捧げてきた国民的アイドルが活動休止するというのは、ものすごく大きなことな気もするし、何も変わらない気もする。わからないけれど、とにかく、2020年12月31日の思いを書き留めておこうと思う。
これは決して21年の活動の歩みを振り返るタイミングじゃないと思うので、休止を発表してからの2年間を振り返りたい。
◆2019年1月27日午後5時 活動休止発表
私は1週間後に引き払う予定の東京都内の1Kで、同じく嵐ファンの友人とuntitledのライブDVDを観ていた。部屋を暗くして、ペンライトを振り回して、ライブっていいねと騒いで、よし帰ろうかというころ、ニュース速報が入った。
「嵐、活動休止へ」
にわかには信じられなかった。日本語の意味がわからなかった。夜に会見があるらしかった。どういうことなの、これからどうやって生きていけばいいの、まず落ち着こう、と2人で騒ぎながら、家に帰る友人を見送った。
アイドルという存在が儚いものであることは、数々のアイドルグループの解散や卒業を目にしてきて知っていた。でも嵐は、物心ついたころからずっとどこかにいて、今もずっとどこかにいた。遠くにいるけど、見えないところで確実に存在している5人組だった。終わりが来るなんて考えもしなかった。
ただこのとき、「そういうことだったのか」という納得も感じていた。20周年に向けた怒涛のコンテンツ、ライブ日程に記されたand more...の謎。「こんなに突っ走るなんて終わりが近いんじゃないか」なんて笑い合っていたことを思い出して、なるほどな、と妙に冷静に今の状況を見つめていた。
◆2019年1月27日午後8時 記者会見
夜20時、ドキドキしながら見始めた会見の5人は、いつもの5人だった。あまりにいつも通りなので、ちょっとびっくりして、ほっとして泣いた。
大野さんはずっと謝っていた。その脇に4人の「大丈夫だよ」というオーラに溢れた温かい笑顔があった。ニノはシリアスな場面をネタと笑いに変えた。翔さんは他人の無責任な矢を強固な盾で跳ね返した。相葉さんは素直に気持ちを吐露してくれた。潤くんはこの決断の意味と今後の見通しを丁寧に説明していた。
「2年近くかけて思いを伝えていく期間を設定したのが我々の誠意。たくさんのパフォーマンスを見てもらい、姿勢と行動をもって無責任か判断してほしい」
「リーダーが悪者に見えるようなら我々の力不足」
大野さんを、嵐を、5人で守り抜く。その決意に、信じよう、最後まで付いていこうと思った。嵐ファンでよかった、と心から思った。このときに見た5人の笑顔は、結局2020年12月31日その日まで、私を支えてくれることになった。
◆2019年6月26日 ベストアルバム発売
なんとなく休止前の嵐総集編のような気がしていてしんみりし始めた頃、普通のCDの3倍の大きさの何かが届いて、全嵐ファンがひっくり返った。こんなものどこにしまえばいいのだという嬉しい悲鳴がtwitterを覆った。この人たちはまだまだ予想外を繰り出してくるつもりなんだと思った。このときに出演したSONGSはよかった。
◆2019年7月〜 ARASHI EXHIBITION "JOURNEY" 嵐を旅する展覧会
アイドルの展覧会って何や…と思っていたけれど、とんでもないアトラクションだった。ワクワクが詰まったポップでカラフルな世界に迷い込んで、嵐の20年を追体験した。そして、嵐は、まだまだ旅の途中だった。
◆2019年10〜11月 YouTubeチャンネル、SNS開設
「もっと近くに」を掲げ、ネットを活用したリアルタイムの情報発信が始まった。遅すぎるくらいのSNS進出だったけれど、ジャニーズのアナログ手法に慣らされていたガラケー世代の私には戸惑いが大きかった。
YouTube、Twitter、Instagram、tiktok、Facebook、Weibo。発信するチャネルが多くなって、チェックしきれなかった。次々出ては消えていく投稿に付いていけなくなった私は、全てを把握することを諦めて、見たい時に見たいものを追いかけた。
一方で、どこか遠くに存在していたはずの嵐が、本当にファンの元に近づいてきてくれているような気がした。突然始まるインスタライブに、「嵐って本当にいるんだ…」と、初めてライブに行ったときのような、同じ時空に嵐が実在する驚きを感じた。
ネット進出で、嵐の活動場所が広がると同時に、すぐそばに、日常に嵐が食い込んできた。これは世界進出と2軸で進行していたものなのだと、後になって私たちは知ることになる。
◆2019年11月3日 デジタルシングル「Turning Up」リリース
サブスクが一般的になっても好きなアイドルのCDだけは手元に置いておくのが常だったオタクたちにとって、配信限定曲というのは衝撃だったと思う。
「嵐ではあまり聞いたことない曲調だけど、彼ららしさもあって楽しい曲だな」。海外のポップ・ミュージックの潮流を取り入れたJ-POPという位置付けのこの曲を、私は素直にいい歌だと思って受け止めていた。
何も知らなかった。嵐はこのシングルで、世界進出を狙っていた。海外受けする音楽を作り、遠くまで届くプラットフォームを活用した。MVの背景に写るアメリカの会場で、ライブをする計画を立てていた。予告映像まで撮っていた。
きっと1年後、その伏線を回収するはずの壮大なプロジェクトだったのだ。それが明かされるまで、ファンは近づいてきてくれるようで遠くに行ってしまうような嵐の活動方針に、悶々とする日々を過ごすようになる。
◆2019年11月12日 二宮和也結婚発表
この2年を語る上で、これは外せない出来事だと思う。
私はアイドルの恋愛や結婚はファンが口を出すべきものではないと思っている。素晴らしいライブパフォーマンスさえ見られれば、それでいい。というか恋愛や結婚こそパフォーマンスの糧になると思う。
それなのに、10年以上好きだった人の結婚は、流石に動揺した。そもそもスキャンダル報道も少なくなかったニノは、安定した結婚というワードに嵐で一番遠いと思っていた(勝手)。びっくりした。視線の先に、ファンじゃなくて、特別な大切な人がいたんだと思ってしまった。
動揺して、今発表することなのか!今じゃなくない!?などと、考えるべきではないことを考えた。11月3日のデビュー記念日で大盛り上がりして、天皇陛下の即位式典も終えて、でも、ライブツアーの真っ最中だった。2週間後に控えたライブに、どんな気持ちで望めばいいのかわからなかった。休止した後に結婚すると結婚するために休止したみたいになっちゃうから今なんだとか、メンバーは反対していたとか、いろんな憶測がネットで飛び交った。
まあ、何にせよ、ニノにとって今だったんだなと思った。表舞台で嵐であることと、二宮和也として誰かと結婚することは、別の時間軸だ。いつも予想を270°上回ってくるニノっぽくて、よかった。ここでファンの心をかき乱す決断をする二宮和也という男をもはや尊敬した。ニノのファン、そういう予想をかわされると喜ぶとこあるからな。
動揺を落ち着かせたのは、いつもと変わらない、むしろ進化しているニノのパフォーマンスだった。その後一切、背後や視線の先に家族の存在を感じることはなかった。いつもファンのことを見てくれているようだった。もうこのことについて口を挟む余地はないと思っている。
◆2019年11月29日 5×20@東京ドーム
これまでのどのステージよりも、「ありがとう」のこもったライブだった。
感謝カンゲキで始まり、5×20で終わる、シンプルな構成。代表曲を主軸にすえ、20年の道のりを一つ一つたどっていくような3時間だった。
前回2017年のuntitledツアーのラスト曲は「未完」。彼らが20周年を超えても挑戦を続けるのだという強烈なメッセージだった。その頃にはもう、2020年末に向けた話し合いは終結を見据えて動いていたはず。それでも、まだまだ終わらないのだと、ファンに向けて伝えたかったんだろう。
感謝と同時に、2020年まで全力で見届けるのだという決意をするライブになった。
◆2019年12月 Netflix "voyage" シリーズ開始
休止への決意を丁寧に綴ることから始まり、この2年間の種明かしをするような静かで奥深いドキュメンタリーだった。嵐って人間なんだな、と思った。
このシリーズが大きな意味を持ったのは、世界進出の裏側と、新型コロナとの戦いだった。
・2019年12月〜2020年6月 Rebornシリーズ リリース
・2020年9月18日 「Whenever You Call」リリース:ブルーノマーズとのコラボ
・2020年10月30日 「Party Starters」リリース
19年暮れから翌年にかけて、明らかに欧米圏に向けた発信に、嵐ファンは正直戸惑っていた。なぜ今、嵐らしさを捨てて世界基準に寄せていくのか。好きだった嵐は、どこに向かってしまうのか。彼らが望んだ挑戦だと分かっていても、不安と疑念は捨て切れなかった。
その答えが描かれていたのがこのドキュメンタリーだった。
嵐はトップを取ったのだと、こちらがそう勝手に思っていただけだった。嵐は、というか松本潤は、もっと外を見ていた。今いるファンへの恩返しをしながらも、世界基準を取り入れて、本当に世界中に嵐を巻き起こそうとしていた。行動は実を結び、ブルーノマーズとコラボまでしてしまった。
2020年は、同じ東アジアのアーティスト、BTSがビルボードを席巻した。そして、新型コロナというどうしようもない壁が、海外ライブを拒み、国内ライブすら拒んだ。
ここでは葛藤、苛立ち、不安、全てがさらけ出されていた。もしこのドキュメンタリーがなかったら、私たちはどこで、この伏線の散らばりや本当の目的を知ることになったのだろうか。嵐のやりたかったことを知ってしまったせいで、悔しさや悲しみを一緒に抱えて、活動休止の日を迎えることになった。それが良かったのかどうかは、まだわからない。
松本潤は、失敗してもいい、挑戦したいのだと、そう繰り返した。彼にとってこの挑戦は、成功だったのだろうか。失敗だったのだろうか。そんなことはどうでもいいのかもしれない。でもたぶん、彼が予想していた通り、世界はそんなに甘くなかった。今でも私は、海外の潮流を取り入れて自分たちらしさを崩してまで世界に届ける意味はあったのかと、正直疑問に思う。そのままの嵐らしさで、最後まで挑戦し続けられなかったのか。「人気があるもの」を作って人気になることが、本当にやりたいことだったのか、と考えてしまう。
嵐ファンには嵐を止める権利はない。嵐がやりたいことをやっているなら、それが一番嬉しいのは事実。
私は私で、これからも好きな嵐の曲を選択して聴くだけだと思う。
◆2020年11月3日 アラフェス配信
書き終わらなかったのでゆっくり書こうと思う…
◆2020年後半 嵐からのプレゼント
5×20ライブツアーに使われたスワロフスキーの配布、紙チケットと銀テープ。This is 嵐アイコンに嵐ウィジェット。
嵐サイドに熱心な嵐ファンがいるのかと思うくらい、ファンが内輪で楽しんでいることを公式が把握して企画化していた。本人たちに言わせれば嵐が一番の嵐ファンなので、これくらいは当然なのかもしれない。
プレゼントをもらえることが嬉しいのはもちろん、「ファンのことをちゃんと見ているよ」というメッセージにも思えた。ありがとう。
◆2020年12月31日
相変わらずの荒天、持ってますね。
なんか、全てが終わるみたいな感じしてしまうけど、実際に休止するのは嵐名義での、5人での芸能活動ということなんだろうな。特に音楽活動はほぼゼロということになってしまう。
嵐のライブパフォーマンスと曲が好きでファンをやっている私にとって、各々の芸能活動は続くにしても、「嵐」としての活動が休止するというのは致命的だと思う。なんたってライブなんだ。だからライブで終わるんだ。それがなくなったら、これからどの程度ファンを続けていけるのかもわからない。また戻ってくるという期待も、正直そんなにしていない。
でも、まだまだ旅は続くのだという前向きな試みを、この2年の嵐が見せてくれた。休止に向かっていても、コロナで外出できなくても、ファンに寂しいと思わせない膨大な量のコンテンツを2年間で提供してくれた(正直まだ消化しきれてない)。
今日のライブだって、生配信に同時鑑賞にライブ中のファンとの双方向のやりとりに、初めての挑戦が盛りだくさんなんだと繰り返し語られている。そこには「失敗したらごめんね!」という免罪符的な意味合いも感じるけれど、みんなで頑張って一緒に作り上げようという、スターになっても変わらない嵐らしいファンへの寄り添い方があらわれている。
そうだなあ。嵐の人気は、「スターだって完璧じゃないんだ」と、その等身大の姿をカッコつけずに見せてきてくれたところにあるのかもしれない。
新たな嵐の旅立ちを、心して見届けます。