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人生を豊かにする学び
徳川家康は、上司の織田信長ではなく、敵の武田信玄から学ぼうとしていたように思えるから不思議だ。
厳密に言うと信長は上司ではなく同盟者ではあるが、実質は様々な合戦に駆り出され、部下同然に働かされた。
信玄が京を目指したとき、最初に邪魔になるのは家康だ。
この時の織田家は周りは敵だらけ。
家康は織田を裏切り、武田に付くという選択肢もあったはずだ。
信長でさえ、信玄をおそれ常にご機嫌を取ろうとしていた。
その信玄が立ち上がり、織田・徳川の連合国を倒しに来た。
そこで武田を選ばずに、織田を選んだ家康の心境が知りたい。
日々酷使されながらも、信長の凄さや尊敬の念を感じていたかもしれない。
でも、そこからあまり学ぼうとした形跡は見当たらない。
元々、尾張と三河では文化がまるで違うし、信長が重視した商業的な感覚や茶の湯みたいなところに触れても、それに染まることをよしとしなかった。
ちなみに、秀吉は信長の教えをしっかり受け継ぎ、大成功した。
こんなことを考えていると、先生にも合う合わないがあるんだろうなとふと思う。
家康からすると、信長の凄さは感じていたけど、あれはまねできないなみたいなところがあったのかもしれない。
思い返せば、私の会社員時代とても優秀で尊敬できる上司がいたが、あれはまねできないなと早々にあきらめ、別の営業スタイルを研究した。
私の自己評価では、自分の営業の戦闘力は凡人なので、凡人でも成果の出せる方法を学ぼうとした。
当時、私が思い描いていたできる営業マンは「話がうまい人」だった。
実際、横で話を聞いていて、憧れもしたし、まねをしようともした。
話題のネタ帳も作った。
商品の説明ができるように練習もした。
しかし、全然できない。。
というより、全然売れない。。
営業マンとしてのセンスが無いのかなと悩んでいた時、ある先輩から「新人で話し上手を目指してどうすんねん。まず客の話を聞け」と言われた。
その一言が自分の人生を変えたと言っても過言ではない。
あー無理に話さなくていいんだ。
と思ったら、心が軽くなった。
そこから、事前に質問リストだけ準備するようになり、営業マンとして成果も少しずつ出てきた。
だんだんと経験が積まれてくると、質問は自然と出るようになった。
同じ営業でも、人それぞれスタイルが違う。
ということは、自分にあったスタイルの先生を選ぶ必要があるかもしれない。
それは、直接学ばなくても私淑で十分だ。
家康は後年、武田の軍法を取り入れ、井伊直政の部隊を赤備えに変えた。
それを信玄から直接学んではいない。
多分、源頼朝のこともいろいろ勉強したに違いない。
私淑とは、 「敬慕する人に直接教えを受けることはできないが、ひそかに尊敬し、模範として学ぶこと。教えを受けたことはないが、尊敬する人をひそかに師と仰ぐこと。」(コトバンクより)
こういう学びも人生を豊かにするものだ。