プライベート・ライアン
オマハビーチに迫る舟艇の中。
この時から既に正体不明の緊張感と焦燥感に煽られる。当時、映画館で観た時からこの感覚の正体は何かずっと考えていた。
過去の話になるけど僕は陸上自衛官で後方支援職種の通信科の隊員だった。部隊配属になって間もなく装備品が入れ替わる時期に差し掛かったが、優先されるのは所謂、戦闘職種と呼ばれる普通科(歩兵科)や野戦特科(砲兵科)の部隊等で後方支援職種には迷彩服ですら旧型のまま。新型の迷彩服に袖を通せたのは僕が除隊する1年前だった。それが故に旧装備・装具とも長い付き合いになった。
話を戻すとプライベート・ライアンでの装備と陸上自衛隊の旧装備は非常に似ていたのだ。
たったそれだけのことかもしれないが、僕はこれまで受けてきた数々の厳しい訓練を思い出す。
初めて小銃を貸与された日に感じた小銃の重さ。重さにして4.3kgの小銃だ。この小銃を20度の角度と体から拳一つ分、約10cmを空けて保持する。これだけでも腕に負荷がかかる。その状態で坂道を何度もハイポートしたこと、ハイポート中にその小銃の重さに腕が耐えきれず抱えるように保持したこと、まだまだ寝静まった明け方午前5時に突如、教官の笛がけたたましく鳴り響き、非常呼集が発令されフル装備の中、約10kgの機関銃を担いで走り回ったこと…例を挙げだすとキリがない。
装備品が似ているだけで妙なシンパシーを感じるし、気持ちは当時の苦しかったことをばかりを思い出す。これが僕が感じた緊張感と焦燥感の正体だった。
本作で思わず目を背けたくなる程、凄惨な描写で描かれたオマハビーチについてはこれまで多くの人が取り上げてきたであろうから僕は触れないでおく。戦争が悲惨であるとか、生命は尊いとかそんなことは誰でも知っているし今更それを取り上げる気はない。
僕は既に除隊しているが入隊後4年で下士官へ昇任をした経歴がある。せっかくなので職業軍人としての観点からこの戦争の主役にフォーカスしたい。
第2レンジャー大隊 C中隊 中隊長 ジョン・H・ミラー大尉
中隊は度々、家族に例えられる。そして中隊長は、その家族の長であるから困難に直面するごとにリーダーシップを発揮して難局に立ち向かう。
ミラー大尉にもその描写はあった。ハチの巣にされた舟艇からなんとか脱出し、オマハビーチに上陸するも集中砲火を受け、次々と朽ちていく隊員の屍を乗り越え、指揮官は自ら先頭を走る。敵の攻撃が当たりにくい位置にいる味方に後続のために場所を空けよと命じつつ、敵陣地の攻撃奪取のために率先して前へ出る。コマンダーが戦死することは本来あってはいけないことだ。指揮系統が崩れると人は烏合の衆となる。仮に部隊が烏合の衆とならなかったとしよう。それでも下士官と士官は受けている教育自体が違うのだから下士官に士官の代わりは務まらない。それにも関わらずだ。一見、無謀と思えるような行動もあるが、それもチームの目標達成のため。自分事に捉えて動ける絵に描いたようなリーダーシップはお手本にすべきである。
第2レンジャー大隊 C中隊 マイケル・ホーヴァス一等軍曹
ミラー大尉の女房役。ミラー大尉の命令に反対の立場であってもそれを部下に見せず忠実に行動させていく。指揮系統をよく分かっている軍曹でミラー大尉と同様にリーダーシップを発揮した姿はいかにもアメリカ人らしい印象を与える。オマハビーチ上陸後、爆破筒で鉄条網を吹き飛ばした後に『お前ら! 俺のケツについて来い! 行くぞ!』と足が遅いのにも関わらず先陣を切った姿は『俺に続け、俺を見よ』でよく表現されるFollow meの精神そのもの。これは陸上自衛隊でもよく目にする。
下士官は技能もさることながら、現場を取り仕切る立場にある。だからこそ強いリーダーシップを発揮する下士官が必要であり、その精強の度合いが部隊の精強さに繋がるのだ。
こうした士官・下士官それぞれ立場で発揮されるリーダーシップの強さは確実に部隊の士気に影響しており、その士気は部隊活動に影響を及ぼす。
戦場は常に不平等だ。そういった困難・難局に立ち向かうためにも技能以外にリーダーシップは必要であり、結果として組織や個人のポテンシャルを引き出すのである。
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