アナログ派の愉しみ/音楽◎吉松 隆 作曲『プレイアデス舞曲集』

「うさんくさい」才能が
きらびやかな音の宝石を作り出すとき


おそらく、だれしも自分の指が初めてピアノの鍵盤を叩いたときを記憶しているのではないだろうか?

わたしの場合は、小学4年のころにクラスの女の子が自宅で開いた誕生会に呼ばれ、そこで出くわしたのが最初だった。それまで近所にピアノを所有する家はなかったし、学校も昔ながらのオルガンが教室に置かれているだけだったから、いまでは珍しくもないアップライトピアノであれ、そのときは聳え立つ黒塗りの楽器に圧倒されたことをありあり覚えている。そして、女の子の許しを得て、人差し指でそっと純白のキーを押したとたん鳴りわたった音に呆然としたことも。

あの耳の驚きを思い起こさせてくれるのが、『プレイアデス舞曲集』だ。吉松隆が1986年から2001年にかけて作曲したアンソロジーで、全9集計73曲が2枚のCDにまとめられ、わたしはかしこまって鑑賞するというより、くつろいだ気分のときにワインを味わうように嗜んできたといったほうがいい。

「さりげない前奏曲」「左寄りの舞曲」「球形のロマンス」……のタイトルがつけられた、それぞれ2分前後の小品たち。シューベルティアンのピアニスト・田部京子がこれらを弾き出すと、クリスタルな音の連なりがきらきらと輝きを撒き散らすのだ。その底にひとしずくの悲しみを滲ませて。「虹の7つの色、いろいろな旋法の7つの音、3拍子から9拍子までの7つのリズムを素材にした『現代ピアノのための新しい形をした前奏曲集』への試み」とは、吉松がライナーノートに書きつけた言葉だ。

なるほど、作曲家とはこうして造作なくいくらでも音の結晶を生み出すことができるものなのか。楽譜を読めず、楽器を弾けず、鼻唄をうたっても音痴といわれるわたしには、まさに魔法か手品のように思えるのだ。せめても天才が自然に紡ぐ美の世界のおこぼれに与れることを幸いとしていたところ、実情はかなり異なるらしい。

吉松は著書『クラシック音楽は「ミステリー」である』(2009年)のなかで、作曲家を「天才型」と「自律型」に二分して、自分は後者だと断言する。そして、天才型は純粋培養ゆえに多様性に欠けるため、たったひとつの要因(病気や環境変化)でたちまち絶滅しかねないと論じたうえで、こう続けるのだ。

 その点「自律型」の音楽家は、物心ついてから自分自身の意思で音楽を目指しているから、最初に挫折や袋小路を抜けて来ている。ゆえに、その後の環境変化が多少あろうとも、すぐさま絶滅に陥るという確率は低い。右の道を行って駄目だったら、左の道を行けばいい。壁にぶち当たったら、迂回するかハシゴを探してくるか爆薬で壊すか……〔中略〕私としては今でも「生まれついての天才」や「子供の時から才能を発揮していた神童」より、自分の力でのし上がってきた「うさんくさい」「食わせものの」「怪しげな」独学・自律型の才能に興味を引かれる。

わたしの平凡な耳には、才能がほとばしるままにきらびやかな音の宝石になったように聴こえる『プレイアデス舞曲集』も、実はしたたかな戦術と生臭い汗によって練り上げられたものらしい。そうと知ると、スピーカーからこぼれ落ちる音の輝きがいっそう増すような気がするのである。


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