アナログ派の愉しみ/音楽◎石田組 演奏『荒野の七人』

if(もしも)を
積み重ねていった先に


現在、日本でいちばん忙しいヴァイオリニストなんだそうだ。石田泰尚のことである。神奈川フィルハーモニー管弦楽団や京都市交響楽団でコンサートマスターをつとめる一方、ソロのリサイタル活動はもとより、さまざまなコラボレーションを展開して年間100回におよぶステージをこなすという。かく言うわたしもこれまでに2度、妻に手引きされるようにしてライヴ会場へ出向いた。そこで体験したのは、一般的なクラシック音楽鑑賞とはずいぶん肌合いの異なるものだった。

 
何より強い印象を受けたのは空気の濃密さだ。客席の大半は中高年の女性によって占められ、しかも何度も足を運んできた常連が多いのだろう、おたがい同士いかにも場慣れした連帯感を醸しだしている。やがて、万雷の拍手のなか、ステージ上にサングラス姿の石田と共演者たちが登場すると、かれは口をへの字に結んだままヴァイオリンを構え、コワモテの外見とは裏腹にめくるめく美音を撒き散らしていく――といった具合。わたしは未知の宗教の儀式に紛れ込んでしまったかのような気分さえ覚えたのだ。

 
それからしばらく経った週末の午後、階下のリヴィングルームで突如、わたしにとって懐かしい西部劇の音楽が鳴りわたった。妻に確かめると、『THE石田組』なるCDをアマゾンで買い求めてプレーヤーにかけているのだった。これは石田を中心とする総勢11名の硬派弦楽アンサンブル「石田組」公演として、2016年10月に横浜みなとみらいホールで行われたコンサートの実況録音で、プログラムはつぎのとおり。

 
(1)ディープ・パープル『紫の炎』
(2)U.K.『シーザーズ・パレス・ブルース』
(3)レッド・ツェッペリン『カシミール』
(4)アストル・ピアソラ『タンゲディアⅢ』
(5)エルマー・バーンスタイン『荒野の七人』
(6)オットリーノ・レスピーギ『リュートのための古風な舞曲とアリアより 第3組曲』

 
どうだろう? イギリスのプログレッシヴ・ロックからアルゼンチン・タンゴ、イタリアの擬古典主義作品まで、まさしく世界じゅうを股にかけ縦横無尽に駆けめぐってみせるのは、ちょっと他ではお目に掛かれない、「石田組」ならではのラインナップだろう。そして、わたしの耳をそばだてたのが(5)のジョン・スタージェス監督によるハリウッド映画『荒野の七人』(1960年)のテーマ曲だったことは言うまでもない。

 
周知のとおり、この作品は、黒澤明監督が西部劇の作法を時代劇に持ち込んだ『七人の侍』(1954年)を逆輸入して、新たな西部劇に仕立て直した、いわばジャパニーズ・ウエスタンだ。私見では、映画芸術として『七人の侍』のほうが『荒野の七人』よりずっと優れているが、そうした比較を超えて両者のあいだには決定的な立脚点の違いがあるように思う。前者において、村の百姓と侍の合同チームが野武士集団を相手にシリアスな殺戮戦を繰り広げるのに対し、後者では、メキシコの農民とガンマン、盗賊連中のそれぞれが戦闘に臨むにあたって少なからずファジーな姿勢を示しているのだ。

 
ガンマンのリーダー、クリス(ユル・ブリンナー)が敵を陥れる罠を手配しながら、効果のほどは運次第だと告げると、サブリーダーのヴィン(スティーヴ・マックイーン)が大きく頷いて「if,if!」と繰り返す。もしも相手がだまされなかったら、もしもこちらの策が首尾どおりに運ばなかったら……。戦闘の構図はしょせん、もしも、に掛かっているに過ぎない。だから、メキシコの農民はいざとなると助っ人のガンマンを裏切って盗賊連中と手を結び、それにもかかわらず、ガンマンはかれらと結んだ契約を楯に決戦に立ち向かう。その姿はわれわれの目には悲壮にも滑稽にも映るだろう。だが、そうしたファジーなゲーム感覚に立脚するからこそ、『七人の侍』が唯一無比の名作で終わったのと異なり、『荒野の七人』のほうはつぎつぎと続編がつくられ、半世紀以上を経て、2016年のデンゼル・ワシントン主演『マグニフィセント・セブン』に至り、同じ年に「石田組」がテーマ音楽を斬新なアレンジでよみがえらせたことにつながったのではないか。

 
if(もしも)を積み重ねていく――。それは、石田泰尚という鬼才の規範ともなっているようにわたしには見えるのだ。
 

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