アナログ派の愉しみ/音楽◎フリッツ・クライスラー演奏『踊る人形』

苛烈な国際情勢から
だれもが微笑む音楽が生まれた


シャーロック・ホームズが40代後半に至り、ベーカー街でそろそろ探偵業からの引退を考えていたころ、ひとりのヴァイオリニストがイギリスにやってきた。フリッツ・クライスラー。1875年ウィーン生まれ、同地とパリの高等音楽院を首席で卒業し、24歳でベルリン・フィルと共演したのち、1902年にロンドンでもデビューを飾ったのだ。とりわけヴァイオリンを愛したホームズは、みずからストラディヴァリ製の銘器を所有して演奏を楽しむぐらいだったから、必ずやこの若い天才のリサイタルに駆けつけたろう。

 
レコードの発明によって、現在でもわたしたちが演奏を耳にできるヴァイオリニストの最初の巨人がクライスラーだ。ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンの「三大協奏曲」や、ベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ」全10曲を史上初めて録音するという偉業を成し遂げる一方で、クライスラー自身が作曲・編曲した小品の数々はクラシックの範囲を超えて世界中で親しまれた。そのヴァイオリンが奏でる音楽はつねに温もりを帯びて人懐こく、国籍や年齢を問わず人々を和ませるものであったのは、温厚な人柄だけがもたらしたわけではないようだ。

 
クライスラーは演奏家として名声を博する以前に、オーストリア国民の責務として陸軍に入隊したり、のちに第一次世界大戦が勃発すると徴兵されて東部戦線で重傷を負ったり、また、さらにのちにはナチス・ドイツのオーストリア併合にともない、ユダヤ系のかれはフランスからアメリカへと逃れたり……と、まさしく19世紀末から20世紀前半にかけての苛烈な国際情勢に翻弄され、そのなかで人類が負った不条理を凝視することで、だれの心をも慰める音楽を磨いたのではないだろうか。

 
わが国の音楽評論の草分け、あらえびす(野村胡堂)は『名曲決定盤』(1939年)の巻頭にクライスラーの項目を設け、この世界的なヴァイオリニストが大正年間の1923年に来日して帝劇で5日間のリサイタルを開いた際の思い出を書き留めている。著者はそのとき病床にあって医師から外出禁止を言い渡されていたにもかかわらず、毎夜通ったせいで以後4か月にわたり重態に陥ったことに触れて、こう続けた。「『危いことであった』と思うのは、私自身の病気のことではなく、クライスラーを聞き損ねたかも知れないという心配であった。クライスラーの演奏会は、全く命がけで聴く値打のあったものである」。

 
さて、クライスラーのおびただしいレコードのうち、どれを代表盤に選ぼうか? ふつうに考えると、『愛の喜び』『愛の悲しみ』『美しきロスマリン』……といった自作自演の有名な録音が妥当だろうが、ここではあえて『踊る人形』にしたい。ハンガリーの作曲家、ポルディーニによるピアノ組曲のひとつをヴァイオリン用に編曲した2分半ほどの作品で、マリオネットがワルツを踊るようすが原曲以上の愛らしさで再現され、だれしも知らず知らずのうちに微笑みを浮かべてしまうだろう。

 
あの気難しいホームズでさえ、かつてノーフォークの屋敷に出向き、踊る人形たちの図像による暗号を解読した事件を思い起こして、きっと微笑むに違いない。


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