アナログ派の愉しみ/音楽◎『エルヴィス・オン・ステージ』

そこにはスーパースターと
アメリカ社会の亀裂の姿が表れている


クラシック音楽ではベートーヴェンの以前・以後で歴史が画されたのと同じく、ポピュラー音楽の分野では、エルヴィス・プレスリーの出現が不可逆的な変化をもたらしたと言えるだろう。考えてみると、少々不思議な気もする。あたかもベートーヴェンがドイツ、オーストリアだけで仕事をしたことに倣うかのように、エルヴィスも実際のコンサートはアメリカ、カナダだけにかぎられたにもかかわらず、世界じゅうを巻き込んで音楽の革命を達成したのだから。

この『エルヴィス・オン・ステージ』は、30代なかばのエルヴィスがほぼ10年ぶりに本格的なコンサート活動を再開して、1970年8月に行ったラスヴェガス公演のドキュメンタリー(デニス・サンダース監督)だ。われわれはむろんベートーヴェン本人の演奏を見聞きすることは叶わないけれど、エルヴィスが音楽史に開いた新たなページについて、半世紀を経た現在もここに目撃することができる。そして、おそらくは当時を知らない世代も含めてだれもがいまだに大きな驚きに出くわすはずだ。

ここに映し出されているものをひと言で要約するなら「亀裂」だろう。エルヴィスがアメリカ南部のテネシー州メンフィスを拠点として、黒人のリズム&ブルースやゴスペルと、白人のカントリー・ミュージックを取り込んでロックンロールを誕生させたことはよく知られている。それは調和というより、異なる音楽がたがいに激しくぶつかりあう亀裂のエネルギーが魅力だったろう。この映像に見られるステージにおいても、背後にはロック・バンドとオーケストラが配置され、黒人女性・白人男性によるふたつのゴスペル・グループが加わって、むしろ積極的に不調和を企図した演奏が繰り広げられている。そもそも南部の地に育まれたエルヴィスの音楽がいったん人気を失ったのち、はるか西部のカジノの砂漠都市で復活を遂げたのも皮肉な亀裂のありさまと見られよう。

ステージ上のエルヴィス自身もまた、激しいアクションで全身を躍動させながら歌唱しているときと、そのあとにとまどった表情で視線をさまよわせる姿とのあいだに亀裂の印象が著しい。

「デビューのころはケチな男だった。モミアゲと震える足のケチな男だった。テレビじゃ、腰から上しか映されなかった。いまだって、初めて僕を見るひとは正気かと疑うだろ?」

そんな言葉をMCでぼそぼそと口にしてみせる。10代の終わりに彗星のごとく登場した当時、マイクを手にさかんに下半身をくねらせるしぐさが卑猥だとして猛烈なバッシングを浴びたことに触れながら、「キング・オヴ・ロックンロール」となった現在も根っこは何も変わっていない、と告白しているかのようだ。その根っこには相変わらず小心な男がいて、ついにおのれに対して自信が持てなかったらしい。

そうした亀裂の数々は、ひとりエルヴィスだけではなく、第二次世界大戦後にアメリカが覇権国家へのし上がろうとする時期にあたって、ソ連との冷戦、ヴェトナム戦争、公民権運動、ケネディ大統領の暗殺……といった激動のなかで、アメリカ社会そのものがさらされていた亀裂を投影したものであり、つまりはロックンロールという新しい音楽もそうした裂け目から産声をあげたのだろう。この映像でわたしが最も惹かれるナンバーは、『ポーク・サラダ・アニー』(トニー・ジョー・ホワイト作詞・作曲)だ。エルヴィスは懐かしい思い出話のように、南部の森にはカブに似た大きな野菜があってポーク・サラダと呼ばれている、と語ってから、「ワニをもしのぐ女の子」の物語をうたいだす。汗だくの顔に少年の笑みを浮かべて。

亀裂と言うなら、おそらくエルヴィスにまつわる最も謎めいた亀裂は、このラスヴェガス公演が行われたのと同じ年、かれがときのニクソン大統領に宛てて手紙を書いて面会し、みずからの強い希望で麻薬取締官に任命されたことだ。その身分を示すバッチを周囲に示して大喜びしたという。一方で、本人は医師の処方によるとはいえ鎮静剤や鎮痛剤、睡眠薬などを大量に服用したため、1977年42歳で急死した原因になったといわれている。奇しくもそれは、ベートーヴェンがこの世を去ってちょうど150年後のことだった。


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