アナログ派の愉しみ/音楽◎ショパン作曲『ピアノ協奏曲第1番』

あのシフラの演奏が
ベストに選ばれた理由


ポーランドに生まれ育ったフレデリック・ショパンが1830年、20歳のときに『ピアノ協奏曲第1番』を作曲したのには初恋が作用したと言われている。相手は、ワルシャワ音楽院の同級生で前途有望なソプラノ歌手のコンスタンツヤ・グワトコフスカ。オペラ好きのショパンは、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』で稀代の色事師が無垢な村娘を口説くアリアを主題にして、ピアノとオーケストラのための変奏曲をつくったりしていたから、この作品においても歌手の代わりにピアノが思いの丈をうたいあげる意図が込められていたのかもしれない。ただし、小柄で病弱だったかれをコンスタンツヤは歯牙にもかけなかったらしく、そうした片思いの鬱屈した心情が曲調に濃い陰影をもたらした。
 

翌年、ショパンがウィーンに活動の場を求めたころ、ポーランドではロシア帝国の圧政に対する武装反乱が勃発しておびただしい流血の果てに敗北に帰すると、踵を返すわけにいかず、当時世界最大の音楽都市だったパリに拠点を移す。そのデビュー・コンサートで演奏したのもこの『ピアノ協奏曲第1番』だ。一躍社交界の寵児となると、やがて6歳年上でふたりの子持ちの女流作家ジョルジュ・サンドと出会って、その庇護のもとで数々の傑作を生みだしていく。以降、39年の生涯を終えるまで二度と祖国の土を踏むことはなかった。なかば亡命者としてフランスで人生の後半を過ごしたのは悲運であったろうが、それが音楽史に「ピアノの詩人」を誕生させたとも言える。
 

フランスの権威ある音楽雑誌『ディアパゾン』は、独自の選定で作曲家ごとに名演を集めたCDボックスを製作しているが、とりわけショパンの巻について腕まくりした感が強いのはそうした背景があってのことだろう。戦前からの伝説的なピアニストたちの録音がずらりと並び、たとえば『バラード』では、第1番がコルトー(1933年)、第2番がペルルミューテル(1960年)、第3番がアラウ(1939年)、第4番がホフマン(1938年)といった具合。ところが、だれもが注目するはずの『ピアノ協奏曲第1番』のソリストには、およそ意表を突く名前があった。当たり前ならリパッティかフランソワが妥当だろうところ、シフラとロザンタール指揮フランス国立放送管弦楽団の組み合わせ(1963年)が選ばれていたのだ。おそらく、かなり熱心なファンでもこんな録音の存在を知らないか、あるいは知ったとしてもまったく食指が動かないのではないか。
 

ジョルジュ・シフラはブダペストでロマの家系に生まれ、幼いころからサーカスなどでピアノを弾いて稼いでいたという。しかし、ソ連の支配下にあった祖国で生命の危険にさらされ、1956年のハンガリー動乱をきっかけに35歳で亡命して転々としたのち、最終的にフランスで落ち着く。そんなかれのピアノ演奏は鬼面ひとを驚かす超絶技巧が売りもので、「リストの再来」と呼ばれて喝采を博する一方、モーツァルトやベートーヴェンでは曲芸のようなテクニックだけでは感心しても感動にはつながらない印象があり、ましてやショパンのデリケートな世界からはあまりにも遠くかけ離れて耳にするまでもない。それが日本における大方のリスナーの受け止め方だったろう。
 

だから、『ディアパゾン』のボックスにシフラの名前を見ていぶかしく思い、さらにはその選定を行ったのがショパン・コンクールの入賞者で、日本でも人気の高いピアニストのジャン・マルク=ルイサダとあってはなおさら意外だった。
 

そこで、さっそくCDをかけてみる。オーケストラの序奏のあとにピアノが入ってくるなり、これがシフラか、と驚いた。トレードマークの力強い打鍵は影をひそめ、どこまでも繊細きわまりない音が紡がれていく。ピアニストの名前を伏せて聴かせたら、専門家でも言い当てられるひとはいないのではないか。いつの間にかすっかり耽溺して、つい涙までこぼれそうになったときに、ふと、このいかにも悩ましげな演奏は心からストレートに出たものか、実はあくまで聴く者への効果を狙って意図的に組み立てられたものではないのか、という疑いが湧きあがったのはシフラへの先入観のせいだろうか。いや、必ずしもそうではあるまい。祖国を失ってほうほうの態で異国の地に辿り着き、そこで新たな生活を築こうとする者にとって、ストレートな心情などにこだわっているゆとりなどあるわけもない。どうやって自分を高く売り込めるかのほうがずっと問題だ。同時に、フランスという国もまた、そうした外来の芸術家の貪欲なエネルギーを迎え入れることで世界に冠たる文化大国となりおおせたのだろう。
 

もはや言うまでもない。そうしたシフラの人生行路は、前世紀にショパンが歩んだ道のりでもあり、シフラの手になる『ピアノ協奏曲第1番』は、おのずからパリの観衆の前でショパンが披露した演奏を再現するものだったのだ。




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