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アナログ派の楽しみ/スペシャル◎呪文「それがどうした?」
わたしが出版社で仕事をしていたころ、心に刻まれたエピソードをお伝えしたいと思います。もちろん、記憶にあるとおりに書くつもりですが、文章責任はすべて当方が負うものとご承知ください。
わたしが雑誌の編集部に配属されたとき、いちばんはじめに先輩社員から教わったことについて書き留めておきたいと思います。きみはこれから自分のつくった記事が何千人、何万人、何十万人の読者の目に触れるという特権を持ったわけだが、しかし同時に、その何千人、何万人、何十万人の読者のほうもそれぞれ特権を持っていることを忘れてはならない、と言われたのです。記事を読んだあとに、こんなふうに口にする特権を。
「それがどうした?」
このひと言が出たら、編集者の敗北。こちらには意味がある「それ」でも、相手にとって意味がない「それ」だとしたら無価値な記事だというわけです。あるいは、こうした見方もできるかもしれません。読者がその記事を読む前と読んだ後で変わったぶんが価値なのであり、もし前と後でぜんぜん変わらなかったとすれば価値はゼロで、相手の時間を無駄遣いさせてしまったのと同じだと。実際、読者を説得するのは並大抵のことじゃない、だから編集者はあの手この手で「それ」の工夫に努めなければならない、というのが老練な先輩の教訓だったのです。
「それがどうした?」
以来40年あまり、わたしは雑誌や書籍の編集にあたるたびにこの言葉を呪文のように唱えて、果たして読者がそう口にせずに済むだけの「それ」となったかどうか、自問自答するのを習い性としてきました。もっとも、不特定多数の読者をすべて説得するのは不可能なハナシであり、実際のところ、野球に譬えるならせいぜい打率2割5分あたりの成績だったろうと受け止めています。ただし、まだ試合を終えたつもりはありません。いまここで記事を書くときにも、せっかく目に止めて読んでくださったみなさまにこの言葉を口にさせることのないよう精一杯心がけている次第ですから。