
アナログ派の楽しみ/スペシャル◎内海桂子・好江の「食卓」
わたしが出版社で仕事をしていたころ、心に刻まれたエピソードをお伝えしたいと思います。もちろん、記憶にあるとおりに書くつもりですが、文章責任はすべて当方が負うものとご承知ください。また、敬称略とさせていただきます。
昨今の「お笑い」と往年の「漫才」は、およそ似て非なるものだと思う。テレビに登場するお笑い芸人たちはウケを取ろうとまるで競走馬のようにシノギを削り、それを眺めるわれわれのほうも笑うというより無理やり笑わせられている気がする。わたしの遠い記憶のかぎり、かつての漫才師と観客とのあいだはもっと大らかで自然体の笑いがあったのではないだろうか。
そんな今昔の違いについて考えていたら、駆け出し編集者のころ、女性誌の「私の得意料理」というカラー・グラビアで内海桂子・好江に取材したことを思い出した。当時絶大な人気を誇っていた漫才コンビで、かくいうわたしもオハコの「セビリアの理髪師」のコントに何度も親しんできた。夫君と暮らしていた好江の自宅へ伺って、手料理の「あじの菜の花焼き」と「ごまなます」を撮影させてもらったのだが、そのあといっしょに食卓を囲んで賞味させていただきながら、ご両人と交わした会話を以下に再録してみたい。記者とあるのが、20代なかばだったわたしだ。
好江 どうですか?
記者 とても美味いです。
好江 まあ、ビールでも飲みながら……。
記者 ありがとうございます。
桂子 まったく、アタシはお手伝いしたような、しないような。
好江 何もやらなかったじゃない。
桂子 昔、もののない時分にはいろいろ作ったけどね。今はひとりだし……。料理なんて、だれか人が美味いとか不味いとか言って食べてくれなくちゃ、作れませんよ、馬鹿々々しくって。
好江 旦那を連れてくればいいじゃないの。
桂子 アンタの旦那、よく出来てるからねえ。
好江 何こしらえても、美味い美味いって、食べてくれます。
記者 なるほど。
桂子 それに好江さんは料理に関心を持つからね。外に食べに行っても、板前さんがやるのをじっと見てて、しつこく聞いて、覚えちゃう。
好江 タダでものを覚えようとしたら、アタマ働かせなくちゃね。
桂子 まあ、つまり、旦那をつないどくのは、馬と同じで、エサなんですよ。
好江 あ、そこ、ぜいごがあるから、気をつけて、皮をはいで食べてちょうだい。
桂子 何言ってるの、それくらい食べられなくちゃ、とてもオンナは食えないよ。
記者 は、はい。
好江 さあ、ビールでも……。
記者 ありが……。
好江 私たちはね、商売柄あんまり時間をかけて料理を作れないから、ナントカ風という大そうなんじゃなくて、手軽に出来るものをパパッとね。それでも工夫して、こんなものでもね、豆のおケツを切って乗せてやれば、きれいなお料理になっちゃう。
桂子 言い方はあんまりきれいじゃないね。
好江 心づかいと言うか、要するに料理はだまし方、ですよ。
桂子 それは女と男でも大切だよ。好江さんなんざ、亭主だってだましてるんだから、16年も。
好江 あなた、まだ独身みたいね。
記者 はあ。
桂子 そんじゃ、アンタ、気をつけなくちゃいけないよ。そもそも男と女ってのはね……。
(『婦人公論』1983年3月号より)
すでに40年あまりが過ぎ、桂子・好江とも世を去られたが、いまでもこうして振り返ってみるとおふたりの肉声が耳によみがえって口元がほころんでしまう。そう、まさにこのとき、ゆくりなくもご両人の「漫才」にわたしも参加させてもらったのかもしれない。