アナログ派の愉しみ/音楽◎ヴァルナイ歌唱『ワルキューレ』

世界が炎上する
終末の予感のもとで


1941年12月6日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でワーグナーの楽劇『ワルキューレ』が上演された。常任指揮者エーリヒ・ラインスドルフのタクトのもと、メルヒオール、ショル、トローベルら錚々たるメンバーが揃ったものの、ジークリンデ役をうたうはずだった53歳のディーバ、ロッテ・レーマンが病気でキャンセルしたため、急遽、23歳のハンガリー系ソプラノ歌手のアストリッド・ヴァルナイが代役として初めてのジークリンデをうたい、その模様がラジオで実況中継されたことによりセンセーションを巻き起こした。このときの録音はCDで聴くことができる。

 
ワーグナーの畢生の大作『ニーベルングの指環』は神話・伝説の素材を用いて、神々や人間、怪物どもが入り乱れながら、世界を支配する権力と愛の相克を描こうとするもので、序夜『ラインの黄金』、第一夜『ワルキューレ』、第二夜『ジークフリート』、第三夜『神々の黄昏』の四部作から成り、計15時間あまりの長丁場が通常4日間をかけて上演され、登場人物も名前のある役だけで30名以上を数える。こうしたなかで、ジークリンデの出番は『ワルキューレ』のみの2時間ほどに過ぎないが、わたしは最も重要なキイパーソンのひとりと見なしている。

 
神々の長ヴォータンは人間の女性とのあいだにジークムントとジークリンデの兄妹の双子をもうけるが、ふたりは幼くして対立する部族の襲撃に遭って生き別れになった。以降の年月を抗争に明け暮れてきたジークムントは、その夜、奥深い森の屋敷で仇敵の部族に嫁がされたジークリンデと再会し、夫フンディングの目を盗んで、おたがいの身の上を語りあううちに実の兄妹と知り、沸き起こる衝動のままからだを重ねてしまう。それは英雄ジークフリートを誕生させるためにヴォータンが仕組んだ筋書きだったが、結婚の神である妻フリッカは断じて不義と近親相姦を許さず、翌日、フンディングとの闘いの場でジークムントはあえなく息絶える。ジークリンデもまた死を望んだものの、ヴォータンの愛娘ブリュンヒルデの手によって強引に救われ、自分の胎内には新たな生命が宿っていることを告げられると、彼女の顔は歓喜に光り輝いてうたいあげる。

 
ああ、いと高貴なる奇蹟!
いとかがやかしい娘よ!
聖なる慰謝を得たことを
あなたに感謝します!
(渡辺護訳)

 
ワーグナーは長大な楽劇がばらばらに拡散してしまわないよう、示導動機(ライトモティーフ)を張りめぐらして場面同士を関連づけていく。このシーンに用意された旋律はしばしば「愛の救済」の動機といわれるものだが、わたしなら「ジークリンデ」の動機と呼びたい。と言うのも、『ニーベルングの指環』の登場人物たちのほとんどが権力と愛の妄執に取り憑かれてみずからを滅ぼしていくなかで、たったひとりジークリンデだけが未来に向け生きる意志をまっすぐに表明しているからだ。そして、最後には彼女が生んだ英雄ジークフリートもおのれの愚かさのせいで死を招き、その遺体を焼く業火が高々と燃えあがって、天上の神々もろとも世界を呑み込んでいく大団円において、ワーグナーがさんざん悩んだ末に託したのがこの示導動機だったのは、やがて浄化された世界が再生することを表していよう。その意味で、ジークリンデの存在が『ニーベルングの指環』全体を支えているのだ。

 
その日、ヴァルナイは第1幕の冒頭こそ生硬な印象があるけれど、ジークムントとのかけあいにつれて徐々にほぐれて、歌唱が熱を帯びていき、それに応じて相手役のメルヒオールも乗りに乗って二度の「ウェルゼ!」の叫びをえんえん引き延ばし、そんな両者のデュエットに観衆が息を呑むようすが如実に伝わってくる。ラインスドルフのタクトも唸りをあげて、いよいよ第3幕のブリュンヘルデとの訣別の場面では、そんなオーケストラを突き抜けて、ヴァルナイの憑かれたような声が高らかに轟きわたる……。わたしは鳥肌が立って圧倒されてしまうのだ。

 
冒頭に記した日付を改めて確認してみよう。そう、この翌日(日本時間では12月8日未明)に大日本帝国海軍はハワイ真珠湾を奇襲攻撃するのだ。アメリカ全土に「リメンバー・パール・ハーバー」の大合唱が起こり、太平洋をはさんで熾烈をきわめたな死闘が繰り広げられ、ついには人類史上初の原子爆弾が広島と長崎に落とされて、一瞬のうちに約17万の無辜の人々が焼き尽くされたのは、まさしく『ニーベルングの指環』が凝視した終末の光景でもあったろう。ヴァルナイの歴史的な絶唱は、そうしたただならぬ予感のもとで出現したのかもしれない。

 


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