アナログ派の愉しみ/音楽◎チェット・ベイカー演奏『ムーン・ラヴ』

そのメロディに
秘められた意図とは


コンピレーション・アルバムがありがたいのは、たとえ自分が好むジャンルでも、その機会がなければ知らなかったであろう音楽と出会えることだ。なかでも、タワーレコードが独自にジャズの主役の楽器ごとに編集したCD3枚組シリーズは、わたしにとっては掘り出し物の宝庫で珍重している。先日も深夜の読書のBGMに、そのうちの『ハートフル・ジャズ・トランペット』をかけていたら、いきなり耳を連れ去られて活字どころではなくなってしまった。

 
チェット・ベイカー演奏の『ムーン・ラヴ』。トランペットによるバラードばかりを集めたアルバムで、マイルス・デイヴィスやリー・モーガン、クリフォード・ブラウンらの名演と並んでいるのだから、知るひとにはよく知られた演奏なのだろう。しかし、この自己破滅型のミュージシャンについて、わたしは元祖ヘタウマともいうべき不思議な歌唱の『チェット・ベイカー・シングス』(1954年)や、晩年にカナダのピアニスト、ポール・ブレイと共演した『ダイアン』(1985年)に親しんだだけで、この演奏時間3分ほどの小品は初めてだった。

 
にもかかわらず、耳が奪われたのは他でもない、それがチャイコフスキー作曲『交響曲第5番』の第2楽章にもとづくものだったからだ。このホルンのソロが奏でるメロディを編曲して、ジャズのビッグ・バンドが合奏したり、フランク・シナトラが歌ったりしたのを聞いた覚えはあるが、しかし、デビュー間もないチェットがラス・フリーマン(ピアノ)、カーソン・スミス(ベース)、ラリー・バンカー(ドラムス)と組んで1953年に行った録音は、そうしたアレンジものとは次元を異にするはかなさを漂わせていたのだ。

 
「ここには何か余分で雑多なもの、不誠実でわざとらしいものがあります」

 
これは、チャイコフスキー自身が『交響曲第5番』初演(1888年)の指揮をとった直後に、パトロネスで文通相手のフォン・メック夫人へ書き送った手紙の一節だ。自作に対して厳しい評価を下したのには、かれの内向的な性格も作用していようが、それ以上に作品の設計が原因だったと思う。第1楽章の冒頭で運命のテーマが提示され、波瀾万丈のドラマの果てに、第4楽章のフィナーレで豪快な凱旋行進曲を繰り広げるという、ベートーヴェンばりの闘争と勝利のモチーフは、およそチャイコフスキーに似つかわしくなかったのではないか。

 
実は、わたしがこれまでコンサートで接した交響曲の頻度において、ベートーヴェンの『第九』、ドヴォルザークの『新世界』に次ぐのがこの曲だ。とくに意図してのことではなかったから(チャイコフスキーでは『交響曲第4番』のほうを聴きたいクチだ)、今日ではすっかり人気の定番プログラムとなった事情を反映しているのだろう。もっとも、かつて国内の有名オーケストラの地方公演で若い指揮者がこの曲を振ったとき、アンサンブルが乱れて阿鼻叫喚に陥ったのを目撃したことがあり、この曲はがっちりとタガを嵌めないと崩壊しかねない危うさの上に成り立っているのを教えられた。

 
「慰め、ひとすじの光……いや、希望はない」

 
第2楽章のスケッチに、チャイコフスキーがそっと書きつけた言葉だという。この大言壮語の交響曲のただなかで、くだんのホルンのソロが切々と奏でるメロディは、当時の帝政ロシアのもとでは違法とされた同性愛者のかれが、世間に対してみずからを偽りながら、ひそかに胸中にわだかまらせてきた思いの丈を吐露したものではなかったろうか。ヨーロッパの辺境の地にあって、ひときわデリケートな感受性を持ち合わせた作曲家には、そうした韜晦のほうがふさわしい気がするのだ。

 
もしそうなら、おのれの弱さのあまり終生ドラッグを手放せず、最後にはホテルから転落して謎の死を遂げたチェットの、孤独のトランペットが奏でる『ムーン・ラヴ』こそ、チャイコフスキーの秘められた意図に寄り添うものだったかもしれない。あらゆる規範から離れてふわふわと、青ざめた月光の下でいつまでも見果てぬ夢をさまよっているような……。

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