アナログ派の愉しみ/映画◎スティーヴ・マックイーン主演『大脱走』
史上最高の視聴率は
「ごっこ」の時代の幕開けを告げたのか
あくまでひとつの仮説である。『大脱走』がなぜ、1970年代の日本であれだけ人気を博したのか、わたしも当時熱に浮かされた者の立場で考察してみたい。
このアメリカ映画は、第二次世界大戦末期、ドイツとポーランドの国境近くのサガンに新設された第3空軍捕虜収容所から連合国軍捕虜76名が集団脱走したという史実にもとづいてつくられ、1963年に公開された。それが日本でブームを巻き起こしたのはテレビ放映がきっかけで、ウィキペディアによると、1971年にフジテレビ「ゴールデン洋画劇場」で前後編に分けて放送されたところ、映画部門の最高視聴率を記録し、とくに後編は史上初めて30%を超えたという。以後、繰り返しテレビ画面に登場し、ついには大晦日のNHK「紅白歌合戦」のウラ番組として一挙放映されるまでに……。
ジョン・スタージェス監督は、その3年前に『荒野の七人』を成功させたことで『大脱走』の企画を実現できたという。つまり、ふたつの作品は兄弟の関係で、実のところ、前者は7人のガンマンが結束してメキシコの農村へ出向いて山賊を退治し、後者は7人(数え方によるが)の将校を中心に結束してナチスの収容所から脱出するという、基本的に同じ構図のストーリーとなっている。あまつさえ7人のうち、スティーヴ・マックイーン、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソンの俳優3人は双方に共通し、また、ともに大ヒットしたテーマ音楽も同じ作曲家が担当したとなれば、それは明らかだろう。
周知のとおり、このストーリーの原型は黒沢明監督の時代劇『七人の侍』に由来するものだ。それが『荒野の七人』から『大脱走』へと展開していくプロセスで、西部劇「ごっこ」、戦争映画「ごっこ」のズレをまとわざるをえず、それがまた成功のカギとなったのではないか。一例をあげると、1944年3月に脱走が実行されたとき、かれらの大半は極寒と積雪のために行きづまってゲシュタポに捕らえられたのであり、本来の戦争映画ならばそう描くべきところ、ここではトンネルを抜けた7人の前途にはまばゆい陽光に照らされた緑の大地が広がっていて、オートバイを駆ったりボートに乗ったりして、脱走「ごっこ」の見せ場をつくっていく。手元にあるDVDの特典映像では、現実の第3空軍捕虜収容所脱走事件に参加した元イギリス軍将校が映画を見て「ハリウッド!」と苦笑するのが印象的だった。
さて、日本である。『大脱走』がテレビ放映されたのは、敗戦後の焼け跡から長足の成長を遂げて経済大国となりおおせ、ときあたかも「ごっこ」の時節を迎えていたタイミングのように思う。70年安保闘争における学生たちの革命「ごっこ」(軽んじる意味はない。むしろ、こうしたズレが連合赤軍事件の深刻な結末を招いたのだろう)や、三島由紀夫と楯の会の軍隊「ごっこ」(三島自身が「おもちゃの兵隊」と口にした。その自衛隊乱入・自決にも芝居がかったところがあったのはだれもが認めるだろう)につらなって、一億総中流「ごっこ」、カルチャー「ごっこ」、オカルト「ごっこ」……と際限なく「ごっこ」が連鎖していく。そんな時代の幕開けに『大脱走』とめぐりあい、そこに「ごっこ」の気分を同調させてブームを招来したのではなかったか。
もとより、ひとつの仮説に過ぎないし、検証のしようもないだろう。わたしはその当否よりも、半世紀近くを経た今日なお、われわれが依然として現実感を欠いたまま「ごっこ」を引きずっているのかどうか、そこに関心がある。新型コロナの流行に翻弄された再度の東京オリンピックにも、間もなく開催される再度の大阪万博にもやはり「ごっこ」の感がつきまとい、あるいは目下、わが国の将来にかかわる大テーマとして侃々諤々の論議がされているのも防衛力の抜本的強化「ごっこ」や異次元の少子化対策「ごっこ」でしかないような……。
『大脱走』の作中、スティーヴ・マックイーン扮するヒルツ大尉は収容所の独房に入れられると座り込み、野球のボールを向かいの壁にぶつけてグローブでつかむ動作を繰り返した。われわれもまた、平和ボケと飽食の国にあって、ひとりよがりのキャッチボールをえんえんと続けながらいまに至っているのだろうか?