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【コラム】年の数え方
現在でも和暦で年を覚えていたり数えたりしている人はどれくらいいるのであろうか? 私は平成になった時点で和暦での習慣はなくなった。あれは平成14年の出来事とか、あの人は平成9年生まれなので今年はいくつになるとか、そういう人は少数派なのではないか。役所関連の文書を除くと業務で和暦を使うことは皆無になった。令和のRが活躍する機会は少なそうだ。
私とは異なり親は和暦で出来事を記憶している。親世代ではそれが主流かもしれない。しかし今から何年前という計算はできない。元号を跨ぐ計算は難しく、自分を基準にする場合は自分の年齢とその時点での年齢の引き算が必要だが、それも困難になっている。親の頭からは記憶の連続性が失われている。
親世代が和暦を使っていたのは昭和が長かったためだと思う。当時の現役世代の時間軸ならばそれで十分だからだ。しかし安政〇年とか文政〇年から何年経過したかという計算は無理だろう。私は元号を跨いで暗算できる人に会ったことがない。できる人も元号の加算をしているのではなく、西暦などのハブを用いているのではないか。
祖父母は自分に関わる出来事は干支(十二支)で記憶して数えていた。自分の時間軸で記憶するのであれば干支は非常に合理的だ。周期が12年で、昔であれば4~5回まわれば一生が終わる。何回目の巳年なのかの記憶違いも少ないだろう。計算も簡単だ。子供の頃に生まれた年を大人達からよく訊かれた記憶がある。この場合は西暦でも和暦でもなく干支を指している。タイムトラベルもので昔の市井の人間に時代を訊いて、その答えが和暦だと違和感を感じる。庶民なら干支で答えるはずだ。
年齢の数え方も満何歳ではなく数え年だから、更に簡単だ。1歳からスタートして年が明ける度に年齢がカウントされる。同じ年に生まれた人は同じ年齢だ。祖父母世代とそれより前の世代は長らく「干支+数え年」を使っていたと思われる。親が使い、自分も子供のころから使い、簡単であり体感に近く、実用上の不便もなかったであろうから体に染みついていたのだろう。
何回目の干支かを表す単位があれば歴史の記述にも十分だったのではないか。実際にあったのかもしれないが、その単位での値をYとすれば「12×Y+その年の干支」で事足りる。12進法となってしまうが、月は12進法だし、時間も24進法だから違和感はない。シンプルで妙な美しさすら感じる。
何回目の干支かを表す単位がない又は普及しないのは人間は自分の時間軸で考えたため、自分の寿命を大きく超える事を考えることがなかったため、なのではないか。私は学生時代の記憶は学年で頭に入っている。基準は自分なのだ。小学6年の夏に〇〇があったな、とか。自分を基準とする年月日が失われる社会人以降の記憶は西暦だ。その西暦も使っているのは下二桁でしかない。人生に限定すれば大きな数は必要ない。
年度や歴史を記述する上での実用性と体感的な時間軸であるdecadeを持つ西暦は干支と和暦が持っていたものを包含している。21世紀以降の人々の記憶は西暦で頭の中に刻まれていくのだろう。手段のグローバル化と言えるのかもしれない。