書きたいもの・書きたいこと (自分へ向けた呟き)
先日、とある冊子で目に付いた一言で、悩みの沼にいることに気が付いた。
「書きたいもの」と「書きたいこと」は明確に違う。
書きたいものとは、あることを紹介したり、書き留めておくというお話。事実や空想を問わないだろうし、面白おかしく書けば、読む人も楽しいだろうけれど、単なるお話。
書きたいこととなると、書く人の心があることで、書きたいことの発見が大切とあった。
最近、いろいろと目にする中に、苦しかった過去に対して頑張ろう、気を付けていこうなどと、楽しい文章で書くことで、自分をベールに包み込んでいるのを見かける。
本当は何を言いたかったのか。他の人のことを理解せず、気配りもなしに応援しますという文章もある。
自分も気を付けなければと、自戒の世界を感じる。
書きたいことの発見は、知ったかぶりしたり、見下したりせず、リスペクトの気持ちやシンプルな素直な気持ちでいることが大切だろう。またその反面、自分を知って、自分の中に物事を感じる物差しも必要だろう。自分の物差しは、毎日変化し続けると思っていればいい。感性も、物差しの一つだろう。
心がもやもやする時がある。
ハウツー本には、言葉に書き出してみてごらんなさいとある。
いやいや、そんな簡単な事なら、もうやっていますよ。と言いたくもなる。
瞬間的な感動。一瞬、心が動揺することもある。
しかし、書き留めるには、もう遅すぎる。
でも、書くことが自分を励ます時もある。
四六時中、すべてのことに対して、誰かが励ましてくれることは無理がある。
書くことで、自分で自分を励ませるなら幸せな事と思う。
心の傷や壊れ方が、あまりにも強烈すぎると、何事にも心が反応しなくなる。
そんな時は、ひたすら心を穏やかにして休ませるしかなかった。
書きたいことを探せるように、沈黙の世界で心を穏やかにしてみようか。
沈黙とは、話をしなかったり、目をつぶったりでは無い。
その逆で、いろんなことに思いを馳せて、そして疲れて、その後に訪れる沈黙だ。
考え抜く必要は無い。自分を大事にしてやればいい。
生きている。書きたいことの発見は、生きることを支えるかもしれない。