苦悩 (日記 Vol.1)
とある作家の話だが、苦悩の長い時間の中で書き溜めた絵画が評価されて、個展を開くまでになったそうだ。
その作家は、不安定な自分の精神を平常に保つ方法として絵を描いていたらしい。そしてそれは、苦悩から身を守る本能だったのだろう。
本能が描き出す絵画は、観る者に何かしらを伝え、訴えるものなのだろう。
ぼくがこんな客観的な書き方しか出来ないのは、その絵画を見ていないからだ。
もし、ぼくがその絵画を目にしたら何を受け取るかは分からないが、苦悩の中で描き続けた作品群は、描くほどに意思と魅力を内在し、蓄えてきているのだと想像する。
とあるエッセイストの話だが、苦悩の中で生き、苦悩に耐えて生きている。
苦悩に耐える力の一つに、作品に対する世の中からの認知や評価がある。
自分の作品にそれを求めるのは、至極、当たり前で自然なことだ。
しかし、焦りは不要だ。
生きながらえている間に、自分の作品たちが世の中に出ていけたなら、焦らずとも十分なのだと思いたい。
作家の作品群のように、エッセイストの作品たちには光るものが宿り、蓄えられていくのだろう。
苦悩を感じずに生きている人々が世の中にいることを、ぼくは知っている。
物事を思いつくように選択し、それによってストレスを消しながら暮らす。
ぼくはそのような身分ではないので、羨ましく思う。
苦悩というのは、暮らしの身分には関係なく存在したり、しなかったり。
じつに不明瞭でやっかいなものだけれど、毎秒毎秒そいつと付き合っていかなければならない。ぼくの宿命というものか。
「とあるエッセイスト」(自分)へのエールであった。