鬱病の父を支えるのが限界になっていた家族の話

私が小5の時に、父は鬱病と診断された。
そして、ある日家族の前で「俺は明日死ぬ」と宣言した。
その言葉を聞いて私は咄嗟に、号泣しながら「死なないで」と父に泣きついた。
その時は「こんなこと言ってごめん。もう少し生きてみる」と言ってくれたけど、
数日後には「何で俺はお前らのために生きなきゃいけないんだ?死なせてくれ」と怒るようになった。

私が中学生になってからは、父の病状が悪化する一方で、処方される薬の量がどんどん増えていき、様々な副作用に苦しみ、合う先生も見つからず病院を転々としていた。(先生と喧嘩して病院を変える、の繰り返し)

カウンセリングも試したけどカウンセラーと喧嘩して断念、入院は絶対嫌だと断固拒否。

ちょっとは先生やカウンセラーの言うことを受け入れて、治療に向き合って欲しかった。

家では、毎日のように、夜中に台所で まだ起きてきて包丁を取り出し、死のうとする。それを家族が止める。
母が包丁を隠すと、「どこにあるんだ?死なせろ」と大声で怒鳴る。
大量の薬を取り出して一気に飲もうとしたり、ベルトを取り出して自分の首を絞めようとすることもあった。

本人も死ぬのが怖いという気持ちはあったようだし、家族に依存していて、死ぬのを止めてほしくてわざと自殺行為を見せびらかしてるようにも見えた。

次第に、母に対して「お前も一緒に死ぬか?」「一家心中するか?」「放火して家ごと燃やしてやる」等と大声で怒鳴るようになった。
元々亭主関白で母に暴言を吐くことはあったけど、ここまで来ると完全に人格がおかしくなっている。
まともに対話できる状態ではなかった。

母だけは守らなきゃという思いから、なるべく父と母だけの空間を作らないように、私もその場にいるようにした。

いつ何が起きてもおかしくない状況の中、家族は寝不足に耐えながら、毎日のように夜中に父の自殺行為を止めて、怒鳴られて、という生活を送った。
当時の生活を思い出すと未だに苦しくなる。

病院に相談したかったけど、本人の同意なしに主治医と会うことは認められなかった。
相談しようとしていることを本人にバレたら、何されるかわからない。

どうすれば良かったのか?未だに正解がわからない。

kaho


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