非自然人農業者の担い手を多く求めるのならば、農業保護政策を強化しないとその実現は不可能
最近、オリックスが赤字を理由に農業事業から撤退した。そんな事例は珍しくなく、実は参入している企業の76.7%は赤字らしい。こう言う話をすると、「規制緩和が不十分で、農協が既得権益を保持しているからだ!」という意見も出てくるが、果たしてそれだけの理由で8割近くの企業が赤字になるのか?ユニクロやオムロンも農業に参入していたが後に撤退している。参入した大手企業でも成功例といえるワタミでさえ、瀬棚農場から撤退するなどの苦戦を強いられている。こうなる根本的な理由は、政府による公的支援が不十分なことにあると思うし、農協ような農業団体が弱体化していることは、反って農業会社で働く人たちの負担になっているはずだ。農協は問題を多く抱えてはいるが、農業関係者とってはインフラであることに違いはない。従って、農協が数々の既得権益を損なうと、農業従事者にも不便を被る事態にもなり得る。だから迂闊な規制緩和により農協が未得権益層になると、一番辛いのは、その変化の対応に苦労する現場の人間である。話の路線はずれるがそこは強調しておきたい。
ようするに早い話が、「農業事業を営む体力のある大企業、中小規模の農業法人、自然人農家、強固な中間団体としての農業団体、政府の十分な財政支援がある農業」と、「農業事業を営む体力のある大企業しか、ほとんど存在しないような農業」 とでは、どう考えても前者の方が強いに決まっている。私は日本の食料安全保障や食料主権、農業地域の文化や共同体、自然環境の保全、資源の持続性が十分に確保できるのなら、別に大企業が農業の担い手の主流になっても良いと思う。しかしそれはまず不可能だ。農水省の公式サイトを参照すると、そもそもアメリカやEUでさえ、農業の経営体の90%以上が家族経営なのが分かる。アメリカの場合は徹底的な合理化を図って、全人口の1%ほど就農者たちが、大規模な農業経営を担っている。そんな国の農業経営体の9割以上が家族経営なのだ。法人による農業経営が本当に合理的ならそうなるワケがない。それを鑑みれば、日本の場合でも、株式会社がもっと自由に農地を取得できるようになったり、あるいは農協が既得権益をさらに失ったとしても、大企業が農業の担い手の大半を占めるのは難しいだろう。それでも企業に農業もっとやらせたいというなら、農業を営む企業を手厚い補助金などで政府が支援する必要がある(その方が企業が撤退した場合でも、基本的には後釜は見つかりやすい)。
なぜなら、他国にそれをやられたら、日本も同じことをしないとまず勝てないからだ。ある現代貨幣理論者が、「『補助金等を減らし、激しい競争にさらせば日本の農業は強くなる』みたいな主張を要約すると、『農業をいじめたら強くなる』という意味だから、あまりにも馬鹿らしくて涙が出てくる」と発言しているのを見たことがある。当事者の一人としては、とっくに涙も枯れている状態だがね。
農業に対する保護政策というのは、昔に比べたら明らかに手薄くなっている。特に顕著なのは保護貿易の削減で、ウルグアイ・ラウンドをはじめ、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(TPP11)や地域的な包括的経済連携協定(RCEP)、日本・EU経済連携協定(日欧EPA)、日本・オーストラリア経済連携協定(日豪EPA)などは、日本の食料安全保障の弱体化の原因になったと考えていい。もちろん自由貿易論者は、「これらによって日本の農業が強くなった。そうでないなら、農協をはじめとする既得権益層が妨害しているせいだ」と主張するだろう。しかし農協については、自民公明党の農業潰しの一環により、JA中央会が一般社団法人になってしまったように、かつてとは違い弱体化しているのは明白だ。だいたい、こんなに農産物の貿易自由化をする貿易協定の締結が罷り通っているに、そのような妨害ができる矛盾などあり得ない。農業会社の多くが赤字なのは、単にあって然るべき公的支援が不足しているからだ。
農業事業を行う大企業にさえ、ある意味冷たい昨今の経済自由主義者たちは、とことん冷酷な人たちだとつくづく思う。