膀胱チャレンジ(呪術廻戦編)
本日、2024年9月30日は週刊少年ジャンプにて呪術廻戦の最終話が掲載された日だ。
連載1話目を読んだ時から毎週楽しみに読んできた。
そんな呪術廻戦に、僕は忘れられない思い出がある。
大学生の頃、東京都世田谷区の八幡山で寮に住んでいた僕は、夕食後に駅前の本屋まで師走の寒い中自転車を走らせていた。
その日は呪術廻戦の単行本3巻の発売日で表紙が釘崎野薔薇というキャラクターだったことも鮮明に覚えている。
当時(というか今でも)、個人的に膀胱チャレンジというのを自分に課すことがあった。
ルールは簡単で、「少しの尿意を感じた時、あえてトイレに行けない環境に身を置き我慢をする」これだけだ。
電車やバスに乗る前、ちょっとトイレに行っておきたいなと思っても、あえてそのまま乗り込む。渋滞や遅延などで目的地になかなか辿りつかない時、非常に焦る。限界まで我慢して、やっとの思いでトイレで用を足せた時、とてつもない解放感と達成感に包まれるのがクセになるのだ。
その日も寮を出る時にうっすら尿意を感じていたが、駅前まで行って帰ってくるだけ、そんなに時間もかからないし大丈夫だろうと自分の中でプチ膀胱チャレンジのつもりで出発をした。
ところが、駅前の本屋に着いて自転車を降りた瞬間、とてつもない尿意に襲われたのだ。自分の計算していたよりも貯水スピードが早く、更に自転車のサドルに座っていたせいで管が圧迫されており、それに気づかなかったのである。
しかし何度もピンチを乗り越えてきた僕は、一旦冷静。
不本意ではあるが本屋でトイレを貸してもらおうとそのまま入店した。
混んでるのである。本屋が混んでいるのである。
いつもは空いている本屋が、丁度帰宅ラッシュ時でサラリーマンで大賑わいしている。
店員さんはレジ対応で忙しくしているので、横から声をかけれる雰囲気ではない。
瞬時に思考を巡らせ、支払いの時にスムーズにトイレを貸してくれと尋ねる事が今この状況の最短ルートだと導き出し、すぐさま新刊コーナーに陳列されている呪術廻戦3巻をひったくりレジ待ちの列へ。
僕は今まで何度もピンチを乗り越えてきたが、何か別のことを考えて気を紛らわせるなんてできているうちは限界なんかじゃなかった。本当の限界はトイレのことしか考えられなくなる状態なんだとその日初めて思い知った。
僕は、小刻みに震えながら、最後の力を振り絞ってその時を待った。
ゆっくりだが確実に列は進み、あとは購入と同時にトイレを貸してもらいトイレに駆け込むだけだ。
やっとの思いで順番になり、僕はなるべく平静を装って紳士に尋ねた。
「トイレを貸してくれませんか?」
今でも覚えているが、少し歳上だろう本屋に似つかわしくない平成初期バンドマンヘアーの男性店員は僕の目を見ながらゆっくりと言った。
「ウチ、トイレ無いんで」
その瞬間何かが弾けた。焦りと極度の緊張感が支配していた僕の体を新たに支配したのは怒りだけだった。
目の前に究極に困った人間がいるのに、少なくともこの本屋の中では一番助けを求めている人間なのに、トイレを貸すたったそれだけのことができないだと、じゃああんたはどこで用を足すんだ、そもそも僕が何したっていうんだ、何も悪い事なんてしてないじゃないか。
不幸中の幸いだったのは、その日寒かったから厚手のスウェットパンツを履いていたこと。それが全部吸ってくれて店内を一滴も汚さなかったこと。
支払いを済ませ、商品を受け取り、お店を出て寮の大浴場に直行するまでの間誰にも気づかれなかったこと。寮の中でも誰にも見つからずになんとか処理できたこと。
呪術廻戦はジャンプの王道でありつつ、様々な倫理観や哲学を持ったキャラクター達がとても魅力的な漫画だ。
まだ読んだことがなかったり、アニメしか観たことがない人は是非、読んでみてね。