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「やるべきこと」と「やりたいこと」(社会人の武装の仕方㉕)
佐々木俊尚さんのVoicyで、「クロノス時間とカイロス時間」の話があった。
時計で計れる時間(クロック=クロノス)と、集中・没頭した時の体感時間(カイロス)、みたいなこと。
例えば休みで、これから3時間自由時間、というようなとき。
ただぼーっと、気の向くままにカイロス時間を過ごしてみる。
そういう時間のほうが、充実している、と感じる。
けれどもいろいろやらなければならないこともある。
10分そうじして、15分ネットサーフィンして、15分読書して、というようにクロノス時間で段取りすれば、いろいろなことをこなせるが、慌ただしいだけで、なんだか充実しない。
難しいものである。
これから3時間自由時間、というようなとき、「やるべきこと」と「やりたいこと」を、いっしょくたにリストアップしたほうがいいだろうか?
カイロス時間を過ごしたいとき、TODOリストのように、リストアップして、優先順位を考えている時点で、クロノス時間思考のような気がする。
自分の中から湧き上がる要求を、心ゆくままに満たす、そんな時間を過ごせればなあ、と思う。
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「やるべきこと」と、「やりたいこと」。
生活に関して、ワーク・ライフ・バランスなどと、わけて考えるやり方がある。
「やるべきこと」をするのがワーク=仕事、
「やりたいこと」をするのがライフ=趣味、みたいなことである。
でも、この頃は、仕事と趣味を一緒にする、みたいな話もあるみたい。
1日のうちの大半を、死んだ顔して過ごしたくない。
仕事も、趣味も一緒にして、1日中充実して過ごしていたい。
好きを仕事に、という言葉をよく聞く。
私は嫌いを仕事にしているわけではないが、好きなことだけをやっている、という感じもしない。
仕事は、庭に咲いているいちばん綺麗な薔薇の花を一本摘んで、それを通り二つ隔てた先で風邪で寝込んでいるおばあさんの枕元に届けて、それで一日が終わるというような平和でこぎれいな代物ではないのだ。(『ねじまき鳥クロニクル』)
我慢の仕事、みたいなものもたくさんある。
「やるべきこと」をしっかりこなしておけば、平穏な「やりたいこと」をすることができる時間がやってくる。
好きを仕事にしないほうがいい、という話もよく聞く。
好きを仕事にしてしまったら、「やりたいこと」が「やるべきこと」になってしまう。
例えばプロのクリエイターさんたちは、顧客を満足させるために、自分の意見を曲げなければならないかもしれない。
しぶしぶ気の乗らないプロモーションをしなければならないかもしれない。
そこには責任が生じ、契約となり、自由なそよぎは消え去ってしまうかもしれない。
読書のさいには、「読むべき本」を読むより、「読みたい本」を、カイロス時間で読みたいものである。
「読むべき本」は、心の持ちようによって、「読みたい本」に変えれるだろうか。
10分の空き時間でも、カイロス時間で読めないものだろうか。
映像と違って、読書なら、それができるかもしれない・・・。