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「文学とは何か」は難しいが、「文学とは何であったか」なら言える。しかし・・・(文学とは何か③)

加藤周一氏の『文学とは何か』を読んでいると、「文学とは何か」は難しいが、「文学とは何であったか」なら言える、とあった。
しかし、「文学とは何であったか」は、その時代、その時代で「文学とは何か」と問い続けないと出てこない。

現代において、文学とは何か。
ボブ・ディランの歌の歌詞がノーベル文学賞を受賞した。
ボブ・ディランの歌詞は、きっと音楽と密接で、切っても切り離せない。
だから、音楽も、文学か?

映画はどうだ。
漫画は。
ゲームは。
それぞれの芸術作品に、言語表現の部分があれば、それは文学たりうるのかもしれない。

いやしかし、言語表現に近しいもの、シンボリズムなどを考える時、絵画も、あるいは文学たりうるかもしれない。

私は「文学的でありたい」と思って生きてきたが、「文学とは何か」については、まだよくわからない。

 ***

加藤周一氏は、「文学は、世界とわれわれとの関係を限定するものだ」と述べている。
その限定のしかたは、「美学的」「倫理的なもの」である。
文学は美にかかわるとともに、人間的真実にかかわっているものである。(kindle位置420)

美、つまり「美しさ」について。
何が美しいかについては、人それぞれであるが、時代を超えて、多くの人を魅了する美しさというものもあるらしい。
夕焼けが美しい。
涙が美しい。
労働が美しい。
文学は、なんらか、人を感動させるもの、表面的なルッキズムみたいなものではない、真の美しさを携えているものである。

また、人間的真実、倫理的なるものについて。
何が人間的であるか。
AIの進化や、一般教養が廃れてきた時代にあって、何が人間的であるのか、価値観は揺さぶられている。
帝や王様などの権力もない。アカデミズムでもない。
誰かが、「これが文学である」と言ってくれる時代は過ぎ去ったのだ。
自分自身が、「これが文学である」と、おのおの世界の中心で、叫ばなければならない。

文学的でありたい、なら、自分にとっての文学的とは何か、を、常に考え続けなければならない。
そういうことを、このnoteではやっているわけだ。


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