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遠い太鼓(創作的な文学的⑥)

ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると聞こえてきた、何処か遠くからの太鼓の音──。
その音にさそわれて、1986年秋から1989年秋までの3年間、村上春樹さんは、ギリシャ・イタリアへ長い旅に出る。
その間に『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』を書かれた。
そして、大ベストセラーになっていた。

若い頃、上記二作品を書いていた頃の身辺雑記として、つまり創作秘話として、この本を読んだところがある。
自分も作家として、このように考え、このように旅したい、と夢見た青春の頃。

自分の目で見たものを、自分の目でみたように書く──それが基本的な姿勢である。自分の感じたことをなるべくそのままに書くことである。安易な感動や、一般論化ジェネラライゼーションを排して、できるだけシンプルに、そしてリアルにものを書くこと。様々に移り変わっていく情景の中で自分をなんとか相対化しつづけること。(中略)文章を書くという作業を自らの存在の水準器として使用することであり、使用しつづける、、、、、ことである。

村上春樹『遠い太鼓』はじめに

この、「文章を書くという作業を自らの存在の水準器として使用すること」というのは、その後の私にとっての「文学的である」ことのひとつの定義でなかろうかと思う。
ブログを書いてみたり、日記を書いたり、それが日誌になったり、そして今noteになったりしたけれど、ともかく文章を書く、というアウトプットを通して、私は文学的であり続けられるのだ。

文章を書くというのはとてもいいことだ。少なくとも僕にとってはとてもいいことだ。(中略)続けていくと、自分という人間の思考やあるいは存在そのものがいかに一時的なものであり、過渡期なものであるかということがよくわかる。(中略)不完全という意味ではない。もちろん不完全かもしれないけれど、僕が過渡期で一時的であるというのはそういうことを意味しているわけではない。

村上春樹『遠い太鼓』最後に──旅の終わり

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