このnoteへのアウトプットのルール(創作的な文学的①)
効率化のためには、「重い処理」をさせないことである。
いちいち感情的になったり、多くの人のことを考えたりしたら、キャパオーバーになってしまう。
だから、なるべくシンプルに。
構成員を少なく。
考えることを少なくしたくなる。
けれどもそれでは物足りない、と思えるようになってきた。
仕事の量を減らし、考えるいとまを増やす。
あえて、ゆっくり仕事する。
新幹線じゃなくて、ローカル線を選ぶ。
でもそれって、なかなか難しい。
最速のもので行きたいと欲望してしまう。
それをあえゆっくりにギアを入れること。
スローライフとは、田舎に暮らすばかりじゃなく、そういうことだと思う。
もちろん田舎に住んで環境を遅くすることもあるかもしれないが、最速を求めてしまう性向は、どこに住んだってつきまとう幽霊だ。
文学的処理を速くするために、速読ではない速度アップ、は有効だろう。
言葉を脳内で変換する速度アップ、自分の無意識を読み取る速度のアップだ。
言葉と常に触れ合うこと、インプットとアウトプットを言葉で行うこと。その鍛錬で、速度アップを図れるかもしれない。
noteを2ヶ月書いて、インプットとアウトプットがうまくいっていると感じている。
このnoteへのアウトプットのルールのようなもの。
毎日何かを少しずつ書く。
おらかじめ書いておいたメモをもとに、書き足すような時もある。
その瞬間だけではなく、何らかを明日へ、次の日へ、つなぐ、継続する、断続する。
そのため、副題をつけ、ナンバリングをした。(例:文学は心を扱う⑨)
タグをつけて、マガジンに入れる。
そして、それらを「これまでの文学的でありたい」に集約した。
テレビのニュースや、Yahoo!ニュースのはじめ数行を読んで、深くは考えずに、うわずみだけを読み取って。
深く読み取って考えようとするとしんどくなる。
なんとなくあいまいに。
我らが共同体、真剣さが必要なことについては、きっと誰かが考えてくれているさ、の他人任せ。
もしかして、ミニマリストを目指して、ゼロを目指して、再び世界を感動の目で見たいと?
子供の頃、あの頃に戻って?
でも、それは無理ってもんだよハニー、
その悲しみはもうすでに汚れちまってるからねぇ…。