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小説、感動、文学史(文学とは何か④)

文学には、随筆、手紙、日記、詩、俳句なども含まれる。
言葉で綴られた、すべての文献に当てはまる。
その中でも、小説に焦がれてきた。
なぜだろう?

手紙は相手が必要だし、日記は書き手が必要だ。
詩や俳句は、世界を描写するには短すぎる。
小説は、その自由さをもって、世界そのものを描くことができる。

何が文学であるのか。
感動後の時間の経過に注目してみる。(感動とは、美しさにこころが動くこと、美しさとは、見た目や整っていることだけを指さない。)
明日の自分、来年の自分、10年後の自分が再び感動できたら、文学だろうか。
いや、その瞬間だけの感動だってあって、青春じゃないけれど、その頃だけの輝きだってある。
感動の継続時間だけでは、自分にとっての「文学とは何か」は判断できないな。

文学史に載っているものが文学か。
文学史って、それを扱う著者によって違うんじゃないか。
編者の寄り合いみたいな、グループによって違ったりするのではないか。
帝や王様やアカデミズム、何が文学かを規定する権威はもうない。


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