即興、AI(文学とは何か⑦)
即興で変化するものは文学と呼べるか。
例えば落語の枕とか。
ライブな対話とか。
「定本」みたいなものがないと、研究対象としてはいつまでたっても落ち着かない。
だから、学問としての対象になりにくいのではないか。
いついつ時点のライブ記録、みたいな感じで時間を限定し、
文字起こししたものと映像とかで残っている資料、
そういう感じで、落語や、漫才や、コントなんかも、研究対象とできるかもしれない。
ところで今後、デジタルリンクなどの手法で、状況に合わせて内容が変化する小説などが出てくるかも知れない(もうすでにあるのか?)。
昔、読者の選択によってページを行き来して結末が変わる、ゲームノベルのようなものがあったが、あれを文学という人はいなかった。
主人公が死んでしまったり、ハッピーエンドとバッドエンドどちらもあり、作者が物語の筋に責任を持っていないように思えるし、単なるエンタメでしか使えない手法だったのだろうか。
今は文章を読まなくても、主人公を自分で操作して、その結果結末が変わるゲームは多様にある。
世界に没入し、描写を楽しみ、物語に心躍らせ、最後は感動に涙する。
文学を読まなくても、文学が担っていた物事のどのくらいが、最先端のゲームは担えているのだろう?
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AIが小説を書く時代である。
プロンプトという、方向づけみたいなことをすれば、AIが学習した無数のパターンから、道すがらの風景を再現してくれる。
パターンからの呼び出しなので、新しいものは作りにくい(と考えられている)。
AIはどこまで行っても人間ではないので、人間が感じているなにか、雰囲気のような、気配のようなものは感じられないだろう、魂のようなものは込められないだろう。
問題は、それを受けとる読者の側にあるのかもしれない。
風のそよぎにお化けを感じ、
気温が下がれば物寂しさを感じ、
生ぬるい雨を浴びればどこか若さを感じる、
そんな反応を示してしまう読者の側に。
作者がAIかどうか、我々は判別できなくなるかもしれない。
まあでも作者がAIかどうかは問題ではなく、それを触媒にして、我々が思慮深くあれるかが問題なのだから、別にどっちでもいいのかもしれない。
文学作品がきちんとしていれば、覆面作家がどんな人間でも、別にどっちでもいいように。(浮気者だったり、ジャンキーだったり、切腹したり、隠遁者だったり、作家にもいろいろおられる。)
AIのべりすと (AI Novelist)という、小説作成用のにほんごAIを試してみた。
最初の2、3行を書くと、続きをAIが書いてくれる。
AIがあなたを殺す「いくつかの手順」について、何度やりなおしても、良い案は提案してくれなかった。
なので、AIは生活をハックしているので、ゆっくりと自死に追い込んでいく、みたいな話にするかと考え、「まず、あなたの生活をハックする。あなたは生活の大部分をAIに支えられて生きている。何を食べ、何を見て、いつ眠るのか。そのすべてをAIは記録している。」と書いたら、あとをつらつらと続けてくれた。
AI小説執筆を体験してみたが、なかなか面白かった。
とりあえず、「こういう方向性で行きたい」とこちらが言えば、これこれ、こういうことですよね?とAIは返してくれる。
AIが提案してくれるものの中には、そういうのもあるか、と、選択肢の幅を広げてくれるものもある。