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これまでの「文学的でありたい」

今までのまとめ。
2024年9月16日にこのnoteを開始して、どんなことを書いてきたのか、簡単にまとめてみたいと思う。(2025/01/26現在)

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はじめに

1.「文学的でありたい」と思って生きてきた。私にとっての「文学的」ってのは何?と疑問に思ったので、noteを書き始めた。
2.文学「的」というのは、文学の観点や側面から見て、文学の状態にある、文学の性質をもっている、ということのようである。
3.AIが言う「文学的」は文学に関する、文学的な性質を持つ、文学的な方法で書かれた、という意味だった。
4.AIが言う「文学的に生きる」はスマートで秀逸だった。AIのすごさがわかったが、自分の中から湧き出ること、染み出すことを大切にしないといけない。

「文学的ではない」状態とは

「文学的ではない」というのは、こころをなくしている時ではないか。
②フィクションに興味がないのは文学的ではないと思うが、あの頃、ランドセルを背負って帰宅した僕の声の調子とかですべてわかっていた母親には、文学なんて必要なかったのかもしれない。

こころを知っていくあの頃

1.文学的である、とは、こころを、感受性をもっているということ。
2.青春時代は文学的でありやすいが、今、私は文学的であれるだろうか?
3.青春時代のもう戻れないあの頃。
4.あの頃には戻れないが、あの頃よりもすばらしい日々はある。
5.文学は、コロナ禍で青春時代を奪われた若い世代の鬱憤を晴らせたのか、知りたい。
6.Mrs. GREEN APPLEの『青と夏』。私はシベリア抑留と広島原爆の孫だ。

文学は心を扱う

①大人たちは当時、殺人事件を起こしたり売春したりする私たち子どもの心の扱い方にとまどっていた。
②やがて私は心を硬くして、社会人になった。
③疲れてスマホばかり見てしまう大人になってしまった。(三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』)
④長時間労働なので、「散漫力」を活用して、「毎日ちょっとずつの集中」でこのnoteを書いている。(佐々木俊尚『読む力大全』)
⑤「毎日ちょっとずつの集中」をくりかえす連続性、接続性は、文学的な時間だ。毎日、染み出てくるものを楽しんでいる。
⑥心は簡単に硬くなってしまうので、動かさなければならないが、マンネリズムがそれを阻む。この世界に飽きないために、文学はあるのではないか。
⑦文学は、その瞬間の心の動きを、文章に刻み残す。それをあとあと読み返して、懐かしく思う。
⑧人間の内側、「心」が「感じたこと」を、言葉で記録して読み返す行為は、文学的だ。
⑨日誌ではなく、日記、過剰な言葉で記録すること、それで心が動くのなら、過剰を選ぼうか。
⑩無味乾燥で質素な記録だけでは、言葉が貧しくなり、心が動かなくなり、私が思う「文学的」ではなくなる、と思う。
⑪心とは何か?心って、常に動かしたほうがいいものなのか?凪ではいけないものなのか?
⑫人間の感情についての、心理学的アプローチ。文学は、心理学などで簡単に分類できない抽象的な物事を扱える。
⑬noteを書くために、私の「心」を作ってきたいろいろな作品を再訪している。書くことで自分の過去や現在や読者がつながっていく。
⑭作品を味わったら何らかの感想・批評を持つ。他者の感想・批評を受け入れる余裕がある半身社会がいい。
⑮人間のインプットには余分なノイズがつきもの。人間は不完全な存在だ。そんな人間を愛おしいと思いながら読解するのが文学的だ。
⑯ノイズ=他者そのもの、を受け入れる余裕を持っていたい。自分自身を深堀りするのと、他者を想像するのと。
⑰心をなくしたくない。文学的でありたい。スピッツの『シロクマ』。
⑱人間の心は時に重い。毒だ。でも今は逆に、その毒を欲している。青春の毒は、『シガテラ』古谷実。
⑲人間の心の奥底にプログラムされている、本能。
⑳本能という言葉は古いらしいが、文学なりに、心の奥底へダイブしなければならない。
㉑ロボットやAIは毎日の生活の現象を、どう捉えて文学化するだろうか。
㉒コンピュータは、現実世界と接地しないまま、記号だけを扱う。それでも記号(言語)を適切に扱えるだろうか?記号設置問題。物語の経験は、実際に経験していなくても、我々の人生の大切な一部になりうるが。

文学を人生のBGMに

①ということで、私は再び文学を人生のBGMにして、傍らに置いておくことに決めた。
②執事のように心を硬くして生きてきた。映画『ダークナイト』のアルフレッド。社会に出る時の武装の方法。
③作家にはそれぞれ追いかけているテーマがある。
④文学は心の闇のようなものを扱う。社会の中で、心の闇の交わりを観察した文学、カポーティ、フィッツジェラルド。ジャーナルには「日々の記録の刊行」のような意味がある。その日だけのニュースにしないこと。
⑤村上春樹文学には、社会システムについて描いているものがある。
⑥文学的であるとは、社会全体を見つめる、大きな視座のことも指す。
⑦この社会で生き抜いていくために、海辺のカフカ君のように、肉体面でもタフになる必要がある。
⑧他の娯楽が多すぎる。でも、君じゃなきゃ、と思う、これはなんなんだろう。(Mr.Children『Yout Song』)
⑨語られていない時代や人々の声を読んで、『風の歌』を聴くことが、文学読書の愉しみだろう。
⑩文学を人生のBGMにしたいが、ずっと本を読んでいる人に対する嫌悪感はある、ずっと本を読める職に転職したいわけでもない、仕事と読書を断続的に行き来したいのだが。
⑪文学的に生きるためには言葉が絶対に不可欠だが、言葉で伝えても、伝わったのは言葉だけ、というのは一体どういうことだ。BUMP OF CHICKENの『宇宙飛行士の手紙』。
⑫noteをやりはじめて、自分の毎日の思考のよりどころができた。それをどうやら読んでくれている人もいるみたいだから張りのある毎日になった。他のnote作家さんの声を聞くようになった。
⑬言葉にならない秘密、とは。詩人の静謐な生活。谷川俊太郎、BUMP OF CHICKEN、Mr. Children。
⑭この頃の読書は合目的性が強い。すてきな言葉を探す旅。バタやんさんのVoicy。

文学とは何か

①ボブ・ディラン、AIの作品、あるいは落語は文学だろうか。
②文学は主観?日本的な「世間」とか「空気」とかいう偽の客観。デジタルツールによる個人の分断の時代に、危険な大きな何かに焦がれる現代人。(加藤周一『文学とは何か』)
③文学が何であったかは分かるが、文学とは何かは分からない。おのおのが世界の中心で、真の美しさとか、人間的真実だとかを考えて、文学的とは何かを叫ばなければならない。
④感動後の時間の経過とかでもない、文学史に載っているかどうかじゃあない、文学とは何か。
⑤純文学とか、大衆文学とか、自分の中に価値体系のものさしをもつこと。思慮深くあるための文学が、私にとっての文学的かもしれない。
⑥文学とは何かを考えるひとつの方法として、芥川賞や直木賞の選評は使えるかもしれない。文章であらわされ、伝えようとされた、受信可能な世界を読もうとする姿勢が、文学的。
⑦即興的なものは文学か。AIが書いたものは文学か。実際にAI小説を書いてみた。受け取る側は、AIを見分けられるのか。見分ける必要があるのか。
⑧リンクを使ったハイパーテキスト小説、AIが引用できない自分の体験、経験を語ろう。小さな窓から世界を見る。BUMP OF CHICKENの『窓の中から』。あるいは村上春樹の井戸、そこからうなぎのようなものを共有すること。
⑨体験。青春(あの頃)はやりなおすことができないので、日常生活に役立たないが、そのことによって貴重であり、価値である、それが文学である、ともいえる。
⑩小難しい、が文学ではないが、必要があって小難しい、哲学とか、ゆっくり考えさせるとか。この頃、そういう噛みごたえのある物、難解なものを読む勇気やエネルギーが戻ってきたみたいで嬉しい。
⑪ぜんぜん難しくはなさそうでも文学的だった吉本ばななの『TUGUMI』。その時代、その時代で文学と定義されるものは違う。文学史に載るものも違う。
⑫映画と文学。コロナ禍では、ひとつのアニメ映画が社会現象になって、社会を励ましたが、そんな文学は、もうないように思う。
⑬アニメと文学。新海誠さんは小説も書かれている。映像で描けなかった思念、気持ちみたいなものを描かれている。
⑭音楽と文学。YOASOBIは小説をもとに楽曲を制作するユニットである。『はじめての』では、小説を読んで曲を深堀りしたり、小説のBGMとして曲を聴いたりできた。
⑮小説のテキストは、読者が脳内で場面を再現するための脚本であると言えるかもしれない。
映画や演劇や小説の根幹部分にある、物語や魂の部分はすべて文学と呼べるのではないか。
⑯ノベライズ。小説のアドバンテージは、過去も未来も描くことができること、詳細描写が可能になること。
⑰文学的とは、いわゆる小説のみだけから想起しない、言葉を使ったら文学化する。言葉は分断と連繋。

創作的な文学的

①効率化のために、非文学的なシンプルを目指した。でも、それでは「こころ」が立ち往かない。もしかして一度ゼロに、赤ん坊に戻ってまた世界を見つめ直そうとした?それは無謀だ。noteを書いて、文学的処理が速くなった。このnoteへのアウトプットのルールについて。
②その原始に文学があったから、今の自分に、自分の選択に、満足していられるのかもしれない。他人になりかわったり、なりきってみたりしてきたから。二次創作もいい。『物語の体操』大塚英志。
③誰でも小説を書いていい時代、小説の技術が全て開かれても尚、「特別なもの」が残るならそれが「文学」だ。読む側の批評眼も、試されている。
④現代は「全員批評家」時代、「批評家マインド」「作者マインド」を持ち合わせて、解像度を上げたい。
⑤自分でも表現することは、文学的。。みじめさを受け入れて書く。
⑥「文章を書くという作業を自らの存在の水準器として使用すること」というのは、その後の私にとっての「文学的である」ことのひとつの定義でなかろうかと思う。(村上春樹『遠い太鼓』)
⑦文学の翻訳は、「生き生きとした気持ちになれる」。言葉の創出でもあり、創作的に文学的である。
⑧作家の文体だけ借りて、あとはその文体で自分の現実を「描く」と、創作的な文学的になれる。
⑨昔、太宰治の文体を借りて日記を書いたことがあった。
⑩日々を消費するように過ごしていてはだめだ。慈しむように、書きつけていく「日記」。自分自身を読んで、自分自身で考えている、というのは「創作的に文学的だ」と思う。
⑪日記を書く原初は、子どもの、「ねえ、お母さん」みたいなもので、noteに書くのも同じようなものだ。
⑫他人を読もう。創作的でいよう。文章を書くことは、取捨選択をすることだ。
⑬Mr.Childrenの『きみの色』は、創作について歌っている。
⑭自分でやってみることは、教育で知恵や知識を伝達していく人間にとって重要。アマチュアの創作。
⑮アマチュアを励ます言葉は、文学賞の批評にあるかもしれない。プロに対しては、厳しい評価もあって当然だ。若い創作者の育成。チームでの創作。小説は、ひとりですべてできるメディアだ。

批評について

①批評のカタチのひとつとして、個人と作品の出会いを書く、というものがある。映画『ルックバック』
②次なる批評のカタチとして、作品をいかに受容したのか、一体何を読んだのかの体験を語るというものがある。感想文のレベル。しかしそこにはネタバレが含まれてしまう。
③自分なりの「解釈した再生産」の披露で、感想文が批評になってくる。面白い作品はネタバレしてもなお面白いのだから、むしろネタバレしたあとでも見れる作品こそいい作品だ、と言えるかも知れない。
④攻略本片手にゲームをするのは罪か。ネタバレしていても、映画『ルックバック』は素晴らしかった。
⑤ネタバレは悪か。ある程度の前情報、予告、つまりネタバレがないと、作品の選別は難しくなるのではないか。
⑥予告編や他人のレビューだけ読むような生活にはなりたくないな。
⑦批評は自分の中の価値体系で評価した「読み」や、オマージュさがしを披露する。
⑧何かの作品をもとに、自分語りをしていく創作的批評、これは評論というもの?デタラメに批評する虚偽批評も創作的かも。
⑨映画『ルックバック』の主題歌を担当されたharuka nakamuraさん、美しい音楽が、美しいアニメーションとよく調和していた。
⑩批評は我々の歩むべき道を吟味している。森羅万象に目を向ける批評を。
⑪批評は、表現を規制したり、変えさせたりする力も持っている。発言には責任を持たなければならない。
⑫社会とは何か、と考えた。批評とは、社会的な行為だから。
⑬M-1グランプリは、演技、批評、採点がある。「与えられた餌の味 解らないけどまず批評」BUMP OF CHICKENの『レム』。
⑭小説を読み解くのは楽しい。魯迅。気付けるということは、だまされない、ということでもある。正しく批評し、批判的であることは重要ではないか。

本の手触り

①本は、むしろ佇んでいるひとりの人間に似ている。その手触りが、その本の内容と同じくらい深い意味を含んで甦って来る。江藤淳氏の『なつかしい本』。
②人にはどれだけの蔵書がいるか。背丈くらいの本棚に入る、厳選された本達を目指したい。
③ハードカバーの本は重厚。作家と読者の対話など、「周辺の体験」も手触りのひとつ。映画『ネバーエンディングストーリー』の、毛布をかぶり、林檎を齧りながら本のページをめくる、わくわく感。
④文庫の手触り。ソフトカバーの手触り。小学生の頃は、新書判で物語を楽しんだ。
⑤音楽はデータになってしまった。映画館は体験だ。紙の本は消えていくのかもしれない。紙の手触り。文学の手触り。これらを求めている人は確かにいる。
⑥紙の本には、自由に書き込みながら読める楽しさがあった。マルジナリア。電子書籍では、それを共有することができる。
⑦目の読書と耳の読書の違い。文学ももともとは口承伝承だった。
⑧電子の手触りを感じるには。電子書籍を「佇んでいるひとりの人間(江藤淳)」のように、感じるための。
⑨note執筆3ヶ月後、それをふりかえる「スマホばかり見ている」は充実していた。アウトプットが、文学的のほんとうかもしれない。

社会人の武装の仕方

①この長時間労働者は、あろうことか、そうして仕事をこなす自分が好きでもあるのだ。しかし、心をなくしている自分を見るのは、好きではない。強力に歯車に組み込まれながら、精神の自由を得るためには。私という社会人の武装の仕方を振り返りながら、心をなくさないための方法論を考えよう。
②社会人になり、社会のルールを自分にインストールする、そこで働いている「大人たち」のふるまいを、習慣を学ぶ、そういうことをふりかえってみたい。
③システムの歯車になって、心を殺して、うまくやってこれたと思うのだけれど、どこか富樫さんの『レベルE』の人間社会に紛れ込んだ宇宙人のような気分だ。アイヒマンのように想像力の欠如した人間にはなりたくない、と、『海辺のカフカ』を読んで思う。
④3色ボールペンなど、混とんとした世界を噛み砕き、咀嚼するための歯だ。
⑤雑誌『ダ・ヴィンチ』の2025年1月号に、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』についての三宅香帆氏のインタビュー。がむしゃらに働くことも、あっていいんじゃないか。
⑥自分版クレドを手帳に書いて読み返すのも効果的だが、物語を読んで一発で納得する場合もある。文学的であることは、そういう「納得感」を、ひとつずつ増やしていくことである。
⑦繰り返しの中に、充実感がある。繰り返しの中に、退屈がある。繰り返しの中に、暮らしがあって、繰り返しの中に、いつしか取り返しのつかない時間経過がある。
⑧アナログ筆記具、デジタルペン、タイピング、音声入力、AIライティングなど、書く方法いろいろ。
⑨記録、記憶のために書く。伝えるために書く。自分自身を見極めるために書く。
⑩代替、経験、挑戦。
⑪上機嫌についての、「自分」と「他者」。祈る、ということはまこと都合が良く、上機嫌な手段だ。常に希望の人であれ。
⑫メモと整理方法。
⑬紙の整理は封筒整理法。しかし、検索ができない、場所がとられる。手放すことができない現実の手触り、感覚。
⑭旅行で胸ポケットにミニノート。人生という旅にも必要だ。
⑮記録、分類、整理。
⑯目標は怖いものだ。それだけ深い森の中に入ることができるようになった。おそるおそる、2025年を生きている。
⑰段取り、中断、少しずつの集中。
⑱ハックスは便利だが、もっといいものはないものかと探し続ける陥穽におちいる。方法を他人にばかり求めずに、逡巡し続け、自分なりの答えを探し続けること。
⑲「自分は文学的なので幸せだ」とマウンティングをとってきてしまった。功利的な文学的は、他人の感情をロードしない、情報量を軽くする、という楽な方向へ向かったが、そんなことをしたら心をなくしてしまうところだった。
⑳文学的であることをマウントの道具にしたりしたが、文学的であろうとしてきたので、体験、文章化、記憶、他者性の重要性を考えることができてきた。
㉑noteを毎日更新するという制約を設けている。バッジ(賞与)も励みになっている。日々の繰り返しの中で、自分の中で抽出されて、染み出てくるうまみ成分みたいなものを楽しんでいる。
㉒読書を「即時フィードバック」の点でゲーミフィケーションする、読んでいる時に自分自身の反応を大切にすること。
㉓期間限定とか言われて食べ急いで、自分を見失わないようにしたい。けれど、飽食の時代、食べ急がないと、と思えるきっかけは、もしかしたら貴重なもので、躍らされるのも、いいのかもしれない。村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』。
㉔早送りや飛ばし読みで、感動を台無しにはしたくないが、読書に対する障壁を高くして、ゲームやショート動画に負けてはいけない。いろいろな読みのギアを持っておくのも大事かもしれない。


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