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これまでの「文学的でありたい」

9月16日にこのnoteを開始して、どんなことを書いてきたのか、簡単にまとめてみたいと思う。(2024/10/14現在)

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はじめに

「文学的でありたい」と思って生きてきた。
私にとっての「文学的」ってのは何?と疑問に思ったので、noteを書き始めた。

「文学的ではない」状態とは

「文学的ではない」というのは、こころをなくしている時ではないか。

こころを知っていくあの頃1〜4

1.文学的である、とは、こころを、感受性をもっているということ。
2.青春時代は文学的でありやすいが、今、私は文学的であれるだろうか?
3.青春時代のもう戻れないあの頃。
4.あの頃には戻れないが、あの頃よりもすばらしい日々はある。

文学は心を扱う①〜

①大人たちは当時、殺人事件を起こしたり売春したりする私たち子どもの心の扱い方にとまどっていた。
②やがて私は心を硬くして、社会人になった。
③疲れてスマホばかり見てしまう大人になってしまった。(『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』)
④長時間労働なので、「散漫力」を活用して、「毎日ちょっとずつの集中」でこのnoteを書いている。
⑤「毎日ちょっとずつの集中」をくりかえす連続性、接続性は、文学的な時間だ。毎日、染み出てくるものを楽しんでいる。
⑥心は簡単に硬くなってしまうので、動かさなければならないが、マンネリズムがそれを阻む。この世界に飽きないために、文学はあるのではないか。
⑦文学は、その瞬間の心の動きを、文章に刻み残す。それをあとあと読み返して、懐かしく思う。
⑧人間の内側、「心」が「感じたこと」を、言葉で記録して読み返す行為は、文学的だ。
⑨日誌ではなく、日記、過剰な言葉で記録すること、それで心が動くのなら、過剰を選ぼうか。
⑩無味乾燥で質素な記録だけでは、言葉が貧しくなり、心が動かなくなり、私が思う「文学的」ではなくなる、と思う。
⑪心とは何か?心って、常に動かしたほうがいいものなのか?凪ではいけないものなのか?
⑫人間の感情についての、心理学的アプローチ。文学は、心理学などで簡単に分類できない抽象的な物事を扱える。
⑬noteを書くために、私の「心」を作ってきたいろいろな作品を再訪している。書くことで自分の過去や現在や読者がつながっていく。
⑭作品を味わったら何らかの感想・批評を持つ。他者の感想・批評を受け入れる余裕がある半身社会がいい。
⑮人間のインプットには余分なノイズがつきもの。人間は不完全な存在だ。そんな人間を愛おしいと思いながら読解するのが文学的だ。
⑯ノイズ=他者そのもの、を受け入れる余裕を持っていたい。自分自身を深堀りするのと、他者を想像するのと。
⑰心をなくしたくない。文学的でありたい。スピッツの『シロクマ』。


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