これまでの「文学的でありたい」
2024年9月16日にこのnoteを開始して、どんなことを書いてきたのか、簡単にまとめてみたいと思う。(2024/11/23現在)
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はじめに
1.「文学的でありたい」と思って生きてきた。私にとっての「文学的」ってのは何?と疑問に思ったので、noteを書き始めた。
2.文学「的」というのは、文学の観点や側面から見て、文学の状態にある、文学の性質をもっている、ということのようである。
3.AIが言う「文学的」は文学に関する、文学的な性質を持つ、文学的な方法で書かれた、という意味だった。
4.AIが言う「文学的に生きる」はスマートで秀逸だった。AIのすごさがわかったが、自分の中から湧き出ること、染み出すことを大切にしないといけない。
「文学的ではない」状態とは
①「文学的ではない」というのは、こころをなくしている時ではないか。
②フィクションに興味がないのは文学的ではないと思うが、あの頃、ランドセルを背負って帰宅した僕の声の調子とかですべてわかっていた母親には、文学なんて必要なかったのかもしれない。
こころを知っていくあの頃
1.文学的である、とは、こころを、感受性をもっているということ。
2.青春時代は文学的でありやすいが、今、私は文学的であれるだろうか?
3.青春時代のもう戻れないあの頃。
4.あの頃には戻れないが、あの頃よりもすばらしい日々はある。
5.文学は、コロナ禍で青春時代を奪われた若い世代の鬱憤を晴らせたのか、知りたい。
6.Mrs. GREEN APPLEの『青と夏』。私はシベリア抑留と広島原爆の孫だ。
文学は心を扱う
①大人たちは当時、殺人事件を起こしたり売春したりする私たち子どもの心の扱い方にとまどっていた。
②やがて私は心を硬くして、社会人になった。
③疲れてスマホばかり見てしまう大人になってしまった。(三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』)
④長時間労働なので、「散漫力」を活用して、「毎日ちょっとずつの集中」でこのnoteを書いている。(佐々木俊尚『読む力大全』)
⑤「毎日ちょっとずつの集中」をくりかえす連続性、接続性は、文学的な時間だ。毎日、染み出てくるものを楽しんでいる。
⑥心は簡単に硬くなってしまうので、動かさなければならないが、マンネリズムがそれを阻む。この世界に飽きないために、文学はあるのではないか。
⑦文学は、その瞬間の心の動きを、文章に刻み残す。それをあとあと読み返して、懐かしく思う。
⑧人間の内側、「心」が「感じたこと」を、言葉で記録して読み返す行為は、文学的だ。
⑨日誌ではなく、日記、過剰な言葉で記録すること、それで心が動くのなら、過剰を選ぼうか。
⑩無味乾燥で質素な記録だけでは、言葉が貧しくなり、心が動かなくなり、私が思う「文学的」ではなくなる、と思う。
⑪心とは何か?心って、常に動かしたほうがいいものなのか?凪ではいけないものなのか?
⑫人間の感情についての、心理学的アプローチ。文学は、心理学などで簡単に分類できない抽象的な物事を扱える。
⑬noteを書くために、私の「心」を作ってきたいろいろな作品を再訪している。書くことで自分の過去や現在や読者がつながっていく。
⑭作品を味わったら何らかの感想・批評を持つ。他者の感想・批評を受け入れる余裕がある半身社会がいい。
⑮人間のインプットには余分なノイズがつきもの。人間は不完全な存在だ。そんな人間を愛おしいと思いながら読解するのが文学的だ。
⑯ノイズ=他者そのもの、を受け入れる余裕を持っていたい。自分自身を深堀りするのと、他者を想像するのと。
⑰心をなくしたくない。文学的でありたい。スピッツの『シロクマ』。
⑱人間の心は時に重い。毒だ。でも今は逆に、その毒を欲している。青春の毒は、『シガテラ』古谷実。
⑲人間の心の奥底にプログラムされている、本能。
⑳本能という言葉は古いらしいが、文学なりに、心の奥底へダイブしなければならない。
文学を人生のBGMに
①ということで、私は再び文学を人生のBGMにして、傍らに置いておくことに決めた。
②執事のように心を硬くして生きてきた。映画『ダークナイト』のアルフレッド。社会に出る時の武装の方法。
③作家にはそれぞれ追いかけているテーマがある。
④文学は心の闇のようなものを扱う。社会の中で、心の闇の交わりを観察した文学、カポーティ、フィッツジェラルド。ジャーナルには「日々の記録の刊行」のような意味がある。その日だけのニュースにしないこと。
⑤村上春樹文学には、社会システムについて描いているものがある。
⑥文学的であるとは、社会全体を見つめる、大きな視座のことも指す。
⑦この社会で生き抜いていくために、海辺のカフカ君のように、肉体面でもタフになる必要がある。
⑧他の娯楽が多すぎる。でも、君じゃなきゃ、と思う、これはなんなんだろう。(Mr.Children『Yout Song』)
⑨語られていない時代や人々の声を読んで、『風の歌』を聴くことが、文学読書の愉しみだろう。
⑩文学を人生のBGMにしたいが、ずっと本を読んでいる人に対する嫌悪感はある、ずっと本を読める職に転職したいわけでもない、仕事と読書を断続的に行き来したいのだが。
文学とは何か
①ボブ・ディラン、AIの作品、あるいは落語は文学だろうか。
②文学は主観?日本的な「世間」とか「空気」とかいう偽の客観。デジタルツールによる個人の分断の時代に、危険な大きな何かに焦がれる現代人。(加藤周一『文学とは何か』)
③文学が何であったかは分かるが、文学とは何かは分からない。おのおのが世界の中心で、真の美しさとか、人間的真実だとかを考えて、文学的とは何かを叫ばなければならない。
④感動後の時間の経過とかでもない、文学史に載っているかどうかじゃあない、文学とは何か。
⑤純文学とか、大衆文学とか、自分の中に価値体系のものさしをもつこと。思慮深くあるための文学が、私にとっての文学的かもしれない。
⑥文学とは何かを考えるひとつの方法として、芥川賞や直木賞の選評は使えるかもしれない。文章であらわされ、伝えようとされた、受信可能な世界を読もうとする姿勢が、文学的。
⑦即興的なものは文学か。AIが書いたものは文学か。実際にAI小説を書いてみた。受け取る側は、AIを見分けられるのか。見分ける必要があるのか。
⑧リンクを使ったハイパーテキスト小説、AIが引用できない自分の体験、経験を語ろう。小さな窓から世界を見る。BUMP OF CHICKENの『窓の中から』。あるいは村上春樹の井戸、そこからうなぎのようなものを共有すること。
⑨体験。青春(あの頃)はやりなおすことができないので、日常生活に役立たないが、そのことによって貴重であり、価値である、それが文学である、ともいえる。
⑩小難しい、が文学ではないが、必要があって小難しい、哲学とか、ゆっくり考えさせるとか。この頃、そういう噛みごたえのある物、難解なものを読む勇気やエネルギーが戻ってきたみたいで嬉しい。
⑪ぜんぜん難しくはなさそうでも文学的だった吉本ばななの『TUGUMI』。その時代、その時代で文学と定義されるものは違う。文学史に載るものも違う。
創作的な文学的
①効率化のために、非文学的なシンプルを目指した。でも、それでは「こころ」が立ち往かない。もしかして一度ゼロに、赤ん坊に戻ってまた世界を見つめ直そうとした?それは無謀だ。noteを書いて、文学的処理が速くなった。このnoteへのアウトプットのルールについて。
②その原始に文学があったから、今の自分に、自分の選択に、満足していられるのかもしれない。他人になりかわったり、なりきってみたりしてきたから。二次創作もいい。『物語の体操』大塚英志。
③誰でも小説を書いていい時代、小説の技術が全て開かれても尚、「特別なもの」が残るならそれが「文学」だ。読む側の批評眼も、試されている。
④現代は「全員批評家」時代、「批評家マインド」「作者マインド」を持ち合わせて、解像度を上げたい。
⑤自分でも表現することは、文学的。。みじめさを受け入れて書く。
⑥「文章を書くという作業を自らの存在の水準器として使用すること」というのは、その後の私にとっての「文学的である」ことのひとつの定義でなかろうかと思う。(村上春樹『遠い太鼓』)
⑦文学の翻訳は、「生き生きとした気持ちになれる」。言葉の創出でもあり、創作的に文学的である。
⑧作家の文体だけ借りて、あとはその文体で自分の現実を「描く」と、創作的な文学的になれる。
⑨昔、太宰治の文体を借りて日記を書いたことがあった。
⑩日々を消費するように過ごしていてはだめだ。慈しむように、書きつけていく「日記」。自分自身を読んで、自分自身で考えている、というのは「創作的に文学的だ」と思う。