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歯車(社会人の武装の仕方①)

別にうまくいっていないわけではない。
それでも、文学的でありたい、だなんて、まるで文学的ではないみたいぢゃあないか。
でも、仕方がない。
そういう心持ちなのだから、仕方がない。
その違和感が、このnoteの出発点であった。

長時間労働者である。
1日の半分以上を労働に費やしている。
1日の3分の1は、寝ることに費やしたい。若い頃の不眠不休の努力、みたいなものは、今の自分がやると、身体を必ず壊す結果になる。
全体の1引くことの2分の1、それからさらに3分の1を引いたら、私に与えられた時間は、1日の6分の1である。

その6分の1も、私だけの時間ではない。
仕事では責任を得た。
家庭もある。それを支える責任もある。

青春のあの頃、私を形作った「文学」の一群がある。
それがなければ、今の私はない。
その創作者の側でいようと思ったこともある。
けれど結局、そうではないところの歯車を選んだ。

では、強力に歯車に組み込まれながら、精神の自由を得られるためには・・・?
そんなことを、社会人になってから、ずっと考えてきたような気がする。
若い頃に戻ったり、仕事を忘れて空想の世界の遊んだりするためには?
仕事の中で心をなくさず、そういうことをするには?イノセントワールド!
シリアスな仕事は毎日やってくる。
けれど、それをこなす自分も好きなのである。
けれど、そこで心をなくしている自分を見るのは、好きではない。

この頃では、人が足りなくなってきて。
少子高齢化と、人口減少なのだそうである。
雇用数の失敗もあって、私たちのような中間の人間というものが少ない。
それがまた、さらに私の首を絞める。

しばらく、私という社会人の武装の仕方について書いてみたい。
それは自慢であり、
心をなくさずに文学的であるための方法論であり、
私の現在地を確認するための作業である。

この個人的な作業の中に、いくらか他人の参考になるところなんてあるのだろうか?

芥川竜之介 歯車


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