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2024年・年末の風景

 12月30日(月) 今年も残り2日になりました。
 今日は餅つきの日。子どもの頃は臼と杵で。まさに「餅つき」でした。自宅の田で収穫した餅米をつかって、臼でつく。注文を受け、叔父・叔母の家に届けていた時代もありました。今は機械。2升5合×3回。かなり少なくなりました。

 昔と変わらないのは、餅米をかまどで蒸かす(蒸し上げる)こと。87歳になる母親の仕事です。絶対に人に譲りません(笑)。

かまどの前は母の持ち場

 母は昨年、11月から12月半ばまで脳梗塞で1ヶ月入院しました。幸いなことに、ほとんど後遺症無く、日常生活が営めるまでになって家に帰ってきました。このときモチベーションになったのが、「年末には自分の仕事がある!」「私がいないと年を越せない!」という、思い。このとき、担当医曰く、「86歳とは思えない、驚異の回復力」とのこと。実は母親、つい先日12月13日(金)に、貧血の症状がひどく、かかりつけ医の判断により救急車で緊急入院しました。そして輸血を数本、歩行のリハビリ等を経て、12月21日に退院しました。9日間の入院でした。主たる症状が「数歩歩くだけで息切れがする」。血中ヘモグロビンの数値が基準の半分程度しかなかったので、消化器官からの出血が疑われましたが、入院時には出血は止まっていて、「憩室炎(大腸に形質と呼ばれるくぼみ・へこみが沢山ある)」とのこと。1年前の脳梗塞と比較すると、言語に障害無く、元気に入院し、元気に退院した印象です。しかし、退院酢日後に倦怠感を訴え、思ったように数値が改善していないこともわかりました。無理をしないよう、疲れをためないように、日常生活に気をつけて生活をしなければいけないと、家族も注意しています。
 そして迎えた、12月30日。前日には餅米をとぎ、水に浸しておきます。これも母の仕事でしたが、今年は私がやりました。つきたての餅を、昼に食べる(弟家族も来ます)大きさに「ちぎる」役割も今年は母親から妻・妹に移りました。やろうとしても、なかなか身体が動かない、気持ちもついていかない、といった感じです。しかし、かまどの前は譲りません!夕方、コタツにあたりながら疲れた顔をしていますが、年末の一仕事を終え、ホッとしている様子も見て取れます。

 9月には父親に肺癌(腺癌)が見つかり、治療法を巡って相当回数病院通いをすることとなりました。(その経過は「家族が癌になるということ」というタイトルで4回に分けて綴ってきました。)年が明けると、放射線治療もはじまります。
 町内会を見渡しても、90歳前後の両親と同居している家はありません。来年はどんな年になるのか。私は高齢者まであと2年。妻は来年60歳。高齢家族ですので、色々考えてしまいますが、その都度話し合って、前に進んでいきたいと思っています。

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