映画「アディクトを待ちながら」
福島市の映画館「フォーラム福島」で「アディクトを待ちながら」を観た。上映後のアフタートークイベント付きである。
福島市には、「フォーラム福島」の6スクリーン(138席~66席)に加え、シネコン「イオンシネマ福島」の9スクリーン、計15スクリーンが毎日稼働している。イオンシネマができる際は、フォーラム存続の危機!と言われたが、ミニシアター系とシネコンの住み分けが上手くいき、人口30万人に満たない地方都市としては充実の映画環境である。この映画環境を支えているのがフォーラム福島総支配人の阿部泰宏氏。特に東日本大震災以降はフォーラム福島でなければ実現できないメディアとしての映画館の役割りの発信や、映画の持つポテンシャルを最大限に活かした企画を実現するなど、映画人として福島の文化を支えている。
この映画で「アディクト」は「依存症者」と訳されている。薬物・アルコール・ギャンブル等様々な依存から抜け出せない人々を総称している。恥ずかしながら、「アディクト」という言葉の意味を今回初めて知った。違法薬物のように法によって罰せられるものもあるが、アルコールやギャンブルは、たしなむ程度であれば趣味の域を出ない。依存が高じ、借金をしてまでギャンブルにのめり込めば、家庭は崩壊する。映画では、買い物依存の母親を娘が必死で止める様子も描かれている。
役者の多くは、何らかの依存でペナルティーを受けた人である。法により罪を償った人もいれば、芸能界で活動をしていけなくなった人もいる。あえてそういう経験をした役者をキャスティングしたところに監督(企画?)の狙いがある。
上映後は、福島大学行政政策学類准教授・高橋有紀先生(刑事政策・更生保護・司法福祉)とゼミ生(3人)、磐梯ダルクリカバリーハウス(依存症回復施設)の皆さんによるアフタートーク。学生の感想やピュアな感覚に触れると同時に、自身の経験を率直に語る磐梯ダルクの皆さんが印象に残った。
「やり直しがきく社会」はあるべき健全な社会である。失敗をしない人間などいないから、本来は誰でも失敗を受け入れられる素地がある。しかし、他人と自分を比較して、マウントをとる(上から見る)のが人間の性(さが)であることも否定できない。世間やコミュニティーがアディクトを受け入れている状況にはなく、本人がいくら頑張ってもレッテルを貼られてしまい、生きづらさを感じてしまうだろう。
表題の映画は、「啓発」という意味もあって、アディクトの理解に大いに貢献するものであり、自分自身も勉強になった。様々なことをきっかけにアディクトに対する理解が広ってほしい。
依存症は「孤立(孤独)の病である」という言葉も印象に残った。一人では戦えない。集団をつくり皆で励まし合うことには大きな意味がある。また、その集団は世間やコミュニティーと交流・関係を持つことが大切であり、そのことにより、理解も深まり、広まる。集団だけで固まると、映画の中で表現されていたように「傷をなめ合っているだけだろう」と歪んだ思い込みを生むことになる。
まずは、多くの人に理解を広げることが大切である。そのことを今回の映画は気付かせてくれた。
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