訃報と病院の1月
早いもので、1月も下旬。振り返れば訃報と病院のひと月だった。
1月5日(日)、町内会で同じ班のAさんの急逝連絡。班長には通夜や葬儀の人の手配という役割がある。水曜日が友引ということもあり、9日(木)通夜・10日(金)葬儀と決まり、受付・会計の手配。結果的に通夜まで3日空いたことは、ありがたかった。
6日(月)、体調不良が顕著になってきた母を、妻がかかりつけ医に連れて行く。この日に予約していた歯科医院はキャンセルである。想定の範囲内であったがすぐに総合病院に移動。仕事始めの勤務を午前中で切り上げ、母・妻と合流し医師の説明を聞く。いくつかの検査を受け、入院となった。
7日(火)、父の肺癌の放射線治療初日。予定通り順調に治療が行われる。この日から8日間(7~10日・14~17日)の集中継続治療である。妻・弟・妹も1日ずつ付き添ってくれた。身体的な不具合は無く、最終日は呼吸器内科での次回診察日を予約し、放射線治療科での治療は無事に終了となった。
母の入院翌日、担当医から連絡。12月にも9日間入院していることを踏まえ、慎重に症状を見てくとのこと。絶食期間を経て、消化器からの出血が止まれば、重湯から3分粥と段階を踏んでいくそうだ。16日(木)には全粥となり、「こうなれば退院して家庭に戻って」と医師の意向はあったが、「常食に戻ってから数日様子を見てほしい」とこちらの意向を伝え、週明けまで入院しながら経過観察となった。
その16日(木)、以前同僚だった78歳のA・Yさんの突然の訃報。12月に手術して闘病中と情報があり、9日(木)にLINEのやりとりをしたばかり。励ますつもりが逆に檄を飛ばされ、それから1週間での急変に言葉もない。良くも悪くも「熱い!」先生だったので、生徒にも教員にも多大な影響を与えた先生である。22日(水)の通夜、23日(木)の告別式には、それぞれ数百人の参列者があり、A・Y先生の影響力を改めて感じ、在りし日を偲んだ。
そして妹からは、福島演劇鑑賞会で共に活動したOさんの訃報。1年ほどの闘病生活を経て帰らぬ人となった。例会でお目にかかる度笑顔で会話をしていた。残念。
更に19日(日)、かれこれ40年来の友人・元同僚S・Yの奥さんの訃報。奥さんとも一緒に働いたことがあり、絶句。闘病生活が長く、死後どうするか家族できちんと話をし、奥さんの遺志にそった見送りとなったそう。
入院中の母は、20日(月)の血液検査も良好だったことから、22日(水)の退院が決まった。慎重に経過を見ながら対応してきたので、総合病院への再来院は必要なく、かかりつけ医に戻るようにとの指導。自宅に帰るのはそんなに嬉しいのか、と感じるほどニコニコと帰宅した。キャンセルした歯科医、かかりつけ医に退院の報告と次回の予約をし、地域包括センターのケアマネに連絡を入れて一段落となった。
こんな1月でしたが、最後に地域の話題をすこし。
福島市飯坂町の「西根神社・どんと祭」「高畑天満宮・うそかえ祭」が1月10日(金)~13日(月)に開催されました。
「鷽(うそ)」は「嘘」に結び付けられて、一年間に人が知らず知らずのうちについた「嘘」は、天神様の前で「誠」にかえられて罪が許されるといいます。鷽鳥(うそどり)は「うそかえ祭」の御縁日に限ってのみお受けすることができ、それを授かった人は、一年間の悪しきことの起こりを良き事に替えるとされています。(西根神社・高畑天満宮 HPより)
世相もあって近年人気急上昇の「うそかえ祭」。列に数時間並ぶのは当たり前になっています。我が家でもここ5年ほど、毎年お参りをし鷽鳥を受けてきているのですが、今年は年頭から色々あって元気がでず、正直なところ「今年はやめようかな」と思いました。しかし、「去年からこんなに色々あったのだから、今年行かないのはおかしいだろう!」と内からの叫び声があり、よいしょっ、と元気を出して出かけました。10日の夜、家を出たのが8時過ぎ、約30分で神社に向かう車の列に並び、車で1時間半、列に並んで約1時間。自宅に戻ったのは12時を回り、翌日になっていました。
あと1週間で2月。穏やかな毎日を願うばかりです。