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梅ソーダと一輪車。大学生のお盆は、原点回帰の日々となる。

暑いお盆が終わった。

我が家では、大学生、院生の子どもたちが帰省しており、ばたばたとした日が続いた。無事終わってホッとしている。

日ごろ、静かにそしておだやかに過ごしてる我が家だが、子どもたちが帰ってくるとなると、仕事部屋と化した子供部屋の片づけ、寝具のセット、食材の買い出しなど前準備がたいへんだ。

普段、果物は食べてないだろうな、とぶどうや桃などを用意し、おかずは何が好きだったかな、嗜好は変わっているだろうな、とあれこれ考える。
結論、肉類、果物、そしてアイスを買っとけば何とかなるだろう、と冷蔵庫、冷凍庫をパンパンに満たす。

もちろん家にいる頃はこんな好待遇をすることはないのだが、年数回の帰省なので、お客様向けのサービスを提供している。


娘は帰って来るなり、

「梅ソーダ、まだ作ってる?」

えっ!?それが飲みたいの?あったかなあ。。
冷蔵庫の奥を探すと、一年モノの梅シロップがでてきた。
酎ハイ用の大きなコップに氷をカラコロといれ、たっぷりの梅シロップと強めの炭酸水をそそぐ。キンキンに冷えた梅ソーダを差し出すと、

「実家に帰ってきた気がするわ!これが飲みたかってん。」

そうなんだ。こういうものが飲みたかったのか。

我が家の梅シロップの起源は、子どもの保育園時代までさかのぼる。
園の梅狩り体験で持ち帰った青梅を一緒に洗い、砂糖漬けにする。そのあとは毎日ワクワクしながら梅の変化を観察していた。
数週間後、うすい琥珀色になった梅シロップを炭酸水で割ると、なんともスッキリとした梅ソーダができあがったのだ。

「おいしいー!」という子どもたちの声に押されて、その後は毎年のように実家でとれる青梅をもらい、梅シロップを作っていた。夏の部活終わり、帰って来るなり、まずは梅ソーダをごくごくと飲んでいたっけ。

夫も私もそれほど飲まないので、こどもが家を出た後、梅シロップがなかなか減らない。だから今年は作らず、去年作ったものが冷蔵庫の奥に眠っていたのだった。

あぁ、残しておいてよかった。



少し涼しくなった夕方、娘は、久しぶりに乗ってみようかな、と一輪車を納戸から取り出してきた。タイヤの空気が抜けているね、と自分で空気を入れる。椅子の高さをめいいっぱい高くした後、ひょいっと乗って、前に進んだ。

「いける! まだ感覚が抜けてないわ!」

「まわるのがちょっと怖いな、、練習するわ」

小学生低学年の頃だったろうか、体育の授業で学校にある一輪車に初めて乗った。
たのしい!うまくなったよ!と嬉しそうに話すので、誕生日プレゼントに一輪車を買ってあげたのだった。カラーは水色、星がキラキラとデザインされた小児用一輪車である。

今でも乗れるんや、と私。
でも、二十歳の子が乗るなんて、どうなのよ。
家から数分いくと田園地帯につながる。家から一輪車に乗り、そのまま田畑の間をするすると進んでいく。私も、散歩がてら後を追う。

昔の私は、一輪車と同じスピードでずっと並走できていたのに、今は途中で息切れして、ついていけない。こんなところで自分の老いを感じてしまうとは、、。

一輪車はもう乗らないだろう、と納戸整理のたびに思っていた。
粗大ごみで捨てなくてよかったなぁ。


子どもたちの帰省。
特別なものは準備しなくていいのかもしれない。

実家でやりたいことは、過去の記憶をたどり、当時の自分に会うことだった。何も変わらない味や田舎の風景を眺めながら、今、どう感じるのかを確かめている。

早朝、遠くの山を眺めながら、田畑に囲まれた道を息子と散歩する。
涼しい風を受けながら、息子がこう言った。

「全てを肯定されている気がする。」

えっ?そんな詩的なことを言うタイプだった?
思わず笑ってしまったが、彼の中身も進化しているのだろう。理由を詳しく問うていないが、それなりに都会で闘っているのか。

私の知らない息子と話している感覚だった。昔と変わらない山や田畑に囲まれた風景に癒されているように感じた。

結局のところ、豪華な食事やイベントはそれほど重要ではない。ほっと一息つける時間、空間こそが大事なのだ。このようなひとときをつくることが私の役割なのかな。

来年は、梅シロップを作ろう。フレッシュな梅ソーダを作るために。


そんなことをしみじみと思ったお盆だった。



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