昔、冬の海に落ちた話
通勤電車の中、車窓から須磨の海を眺めていたら、
なぜかはわからないけれど、
小学校5年生か6年生か、
堤防から海に落ちて、危うく命を落としかけたことが鮮明に思い出された。
季節はたぶん12月だったと思う。
わたしは水色とピンクと白の、
モヘアのようなモコモコの、ざっくりとしたカーディガン、
下はジーンズをはいていた。
たぶん日曜日だったのではないかと思うけれど、
正確には覚えていなくて、
友達と三人で浜の堤防まで来ていた。
堤防のテトラポットの下には、
あこがれの先輩、かっちゃんが釣りをしているのを発見。
かっちゃんは中学生で、
しゅっとしていて、
わたしからしたら大人で、密かにファンだった人。
小学校と中学校は違うので、
たまに見れたらラッキー!今日はついてる!と、
今日の運気を左右する存在でもあった。
わたしは、わぁ、かっちゃんを見れたぁ、とめっちゃうれしくて、
なんて今日はついてるの!と
小躍りしたいふんわり気持ちで堤防の上を歩いていたら、、、
落ちた。
海に落ちた。
多分堤防は3~4mはある高さ。
夏などは、度胸試しでここから子供たちは飛び降り、
わたしもバンジーさながら頑張って飛び降りた経験はあるが、
ふいをつかれて冬の海、
この高い堤防から落ちてしまった。
え!?と思って
目が開かれたとき、
エメラルドグリーンの中にいて、
上のほうは光がきらきらしていてきれいだった。
次の瞬間、海に落ちた!と理解し、
あわてて水面にあがろうとした。
わたしは海辺の町に生まれたせいかどうかはわからないが、
泳ぎは達者。
パニックにはならなかった。
水面に顔を出したとき、
堤防の上で、二人の友達が、
「がんばれー!がんばれー!がんばれー!」
と、叫んでいた。
わたしは泳げるものだから、
妙に冷静だったけれど、
モコモコのざっくりとしたカーディガンが水を含み、
かなり重くなってわたしを水の中へ引きずりこもうとする。
加えてジーンズも、スニーカーも、どんどん重たくなっていく。
これはいけない。
カーディガンを脱がなければ、靴も、
ああ、ポケットの財布も海に捨てなければ、と思い、
なおも堤防で、
「がんばれー!がんばれー!」
と、叫んでいる友達に、
いや、ちゃうやろ、誰か呼んできてよ、
と思いながら、
それを声に出す気力もなくて、
あれ?
やばいかな?
どんどん沈んでいく、
と思ったとき、
ぐいっと腕を引かれた。
見ると、
小型船のボートに乗った、
制服を着た人がわたしの腕をつかんで引き上げてくれた。
「どうしたの!?」
と聞くので、素直に落ちた、と言うと、
彼らは巡視船の人たちで、普段はこの界隈を
見ないけれど、今日はたまたまパトロールしていたら、
冬の海で泳いでいる人を見つけて、気になって近寄ってみた、
とのことだった。
アメージング、、、
堤防で叫んでいた友達は、巡視船の人たちに、
「お兄さん!お兄さん!ありがとう!ありがとう!」
と、泣き出しそうになりながら声高々に礼を言ってくれた。
わたしは、かっちゃんに聞こえるからやめてくれよ、
と思った記憶がある。
ずぶぬれで帰ったわたしは、
親戚の営む銭湯に連れていかれ、
大人たちは、奇跡だ、ご先祖に助けられた、この子は持っている、
など、興奮して奇跡の子供のように扱われたけれど、
今、思えば、
あのときは、
わたしの命の期限ではなかったのだなと思う。
まだまだ、やるべきことがこの「生」ではあったのだ。
だから、うっかり死にそうになっても、
「今ちゃうで~」
と、すごいサポートがやってきた。
それを人は、奇跡というのかな。
子供の頃から、
輪廻転生のほうがしっくりきて、
今もそう考えるほうが納得できるし、信じているけれど、
でも、
この時代、この「からだ」の自分は、
今しかないんだよな、と思ったら、何やらすごく泣けてきて、
命を落としかけても助けられてつながったこの人生、
何も大きなことは成し遂げられなくても、
大きなことを残せなくても、
いつが期限かもわからないけれど、
大切に生きていこうと思えました。
なので、
ふいに思い出したこの出来事は、今のわたしにとても意味がある。
エメラルドグリーン
今も忘れられない。