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(ショートストーリー)穴
昭和の時代、
色白でかわいい、小さなキクちゃんは、
海沿いの小さな町で暮らしていた。
キクちゃんは体があまり丈夫ではなかったので、うちからごく近くのキリスト教の幼稚園に通っていた。
キクちゃんのおうちは無宗教だったけれど、お母さんの目が届く範囲の幼稚園として決められたのだった。
キクちゃんにとって宗教がどんなものか当然わからなかったけれど、
昼食前のオルガンの音は好きだった。おばあちゃん先生のT先生とE先生はキリスト教徒で、賛美歌をオルガンでひき、清らかな大きな声で歌った。キクちゃんやお友達も一緒に歌い、そして感謝の祈りをささげ、昼食をいただいた。
キクちゃんは冷えたご飯が大嫌いだったので、賛美歌をずっと聞いていたかったし、祈りを永遠に続けて箸を持ちたくなかった。
キクちゃんは食の細い子供だった。
キクちゃんはお友達と遊ぶのも好きだったけれど、どちらかといえば、
一人でいることを好んだ。一人で絵を描くのが好きだったし、一人で砂遊びをするのも好きだったし、一人でブランコに乗るもの好きだった。
キクちゃんは常に、空想の世界で遊んでいて、一人でいてもまったく寂しくない子供だった。
運動場で一人遊んでいたときのこと。つきあたりに外用のトイレがある。右脇に納戸があり、木の引き戸には小さな南京錠がかかっていた。
そのときキクちゃんは何を思ったか、ふいに導かれるように木の引き戸が目にとまって、吸い寄せられるようにそばに行き、南京錠を珍しいもののように触り、木目を眺め、なぞり、しばらく納戸の前にいた。
すると、ひとつの小さな穴を見つけた。
ちょうどキクちゃんが背伸びをして、のぞける位置にある小さな穴。キクちゃんは珍しいものを発見したような気持になって、当然すぐにのぞいてみた。
そして、
「ひ!」
と、おののく。
あり得ないものが見えて、キクちゃんは咄嗟にその穴から離れた。小さな心臓が別の生き物のようにどきどきしている。
キクちゃんがのぞいたときに見えたものは、なんと「目」だったのだ。
キクちゃんは怖くてその場から走って立ち去った。
「誰か」がいることを、口に出してはいけない気がして、当然E先生にもT先生にも、お母さんにも言えなかった。
それから数日たち、キクちゃんは恐る恐るまた小さな穴をのぞいた。まだその人は納戸にとどまっているようで、またしても目が合った。
しかし、不思議なことに、毎回その人はいるわけではなかった。雨の日や薄暗いとき、光がささないとき、その人と目が合うことはなかった。
きっと、雨の日の散歩にでかけているのだと思った。
キクちゃんは、この小さな納戸で暮らしている人のことを思った。ひょっとしたら、神様か妖精かもしれない。だって、優しい目をしているんだもの。キクちゃん、お友達になりたいな。
ある晴れた日、T先生が納戸のほうに行くのが見えた。キクちゃんは咄嗟に先生のあとを追った。もし、何かあったとき神様か妖精か、なにものかをキクちゃんは守ってあげなければならないと決心していた。
案の定、先生は南京錠をあけて、扉を勢いよく開いた。キクちゃんは息をのんで、中の様子をうかがった。納戸に住むひとが、扉をあけた瞬間、待ってましたとばかりに転がり出てくるのではと気が気でなかった。
開いた瞬間、
飛び出してくる人の気配はなく、
キクちゃんはほっとし、
先生の後ろから納戸の中をのぞくと、運動会で使われる道具がしまわれていた。
そして、
ちょうど穴から見える場所には、
立てかけられた縁のない、
大きな鏡があった。
そう、
キクちゃんが見ていた納戸に住む人の「目」は、
キクちゃんの目だったのだ。
謎がすっかりとけて愉快になったキクちゃんは、先生の後ろでくすくす笑い出し、生まれてはじめて「なんじゃい!それ!」と自分にツッコミを入れた。
それを境に、
妖精が住む不思議で、ちょっと怖い幼稚園は、また美しい平和な、子供の園にもどった。
キクちゃんはときどき、自分の目に会いに、納戸の穴をのぞいた。
納戸の中の目は、いつも優しく笑っていた。